日記代わりの前書き集


平成19年8月11日 -No.1/4-
 第三版までとは一線を画し、生体防衛論と題してトピックスを並べたいと思います。まず、枕の小エッセイ。そのあと、タイトルを付して、生体防衛学のトピックス。最後に、いままで最初に置いていた森羅万象の系譜というパターンになります。森羅万象の系譜も書き直しや最新情報(私にとって)の追加があります。
 なぜ、生体防衛か? 生体防御や予防などいろいろと用語はありますが、なんとなく戦争をイメージさせる防衛を選びました。感染微生物と、生きるか死ぬかの戦いをしているのだと。特に、感染微生物の立場からは死ぬことが多いので、微生物側のゲリラ戦略に注目です。とはいうものの、ほとんど分子レベルの話ですから、最初は分子レベルで生命現象を理解するのに慣れていただくための解説が多くなります。

 今回の森羅万象の系譜は、最初なので「ビックバン」です。


平成19年8月18日 -No.2/4-
 このメルマガでも年金は何度か話題に登場しました。それだけ、老後が気になるわけです。サラリーマン社会では機動性を重視した核家族制、長時間労働を保証する専業主婦、そして、労働力として非効率的になったときの定年制度、核家族を推進したために、老後の生活を支える年金制度が必須です。現金が必須な社会でサラリーマンとして生きている多くの人たちは、やはり、年金は最大の関心事です。
 年金とは貯金であり、投資です。国家の管理する互助システムでもあります。投資先として考えたとき、昔は良かった風に言うと、子や不動産に投資するのが賢明でしょう。結局頼れるのは身内だけ。ただ、老後を子供に完全に依存するとなると、子供のライフスタイルを大きく制限することになります。現代では子供のライフスタイルに合わせて移動できる身軽さが老後には必要と思われます。


平成19年8月25日 -No.3/4-
 参議院選挙が終わったら年金問題の報道は急に下火になってしまいました。もう、国政選挙の争点としての役割が終わったからもうニュースとして取り上げる必要がないのでしょうか。世間が飽きてしまって話題にもならないからいいのでしょうか。まだ問題は解決していません。ちゃんと経過報告しないと、政府が責任を果たしたか否かも判りません。参議院選挙では1年以内の解決を目指すと宣言した首相は、政権続投を宣言しているわけですから、年金問題の処理達成度を毎月、グラフにして報道するのも一興かと思います。
 年金問題に限らず、行政や大企業の責任者が原因を調査するとか問題を解決しますという宣言をした場合、定期的に調査・報告をして、行政や企業経営者はちゃんと責任を果たしているかをチェックする必要があるでしょう。これはマスコミの役割ではないでしょうか。たとえ過ちを犯したとしても、きちんと責任を果たした人や組織は、当然、評価が高くなると思います。それをきちんとチェックするジャーナリストはインターネットでその場限りの発言をする識者より、当然、評価が高くなると思います。


平成19年9月1日 -No.4/4-
 創造性を養うには、頭が柔軟であることが必要だと言われます。創造性とは無から有を作る作業ではなく、2つの有を組み合わせて新しい有を作る作業です。ただ、その組み合わせ方が新規な考え方に基づきます。したがって、単に柔軟だというだけ不十分で、対象についてさまざまな経験や知識があると、より豊かな発想が可能です。そういう意味から、若い人ほど創造性が高いといいますが、いえいえ、中年も捨てたものではないでしょう。ただ、「そんなことしてなんになるんだ」などの大人の節度が創造性を阻害するようです。創造的であるためには、いつも標準的な答えと違う答えを考え出す癖をつけるべきです。反社会的であっても、たんなる言葉遊びであっても、非実用的でもいいでしょう。思考訓練と考える。グループで相談するときはウイット、ユーモアのある提案や解釈を必ずひねり出しましょう。質の高いユーモアは問題の本質をついているものです。
 忙しくなってきたので、来週はお休みします。次回の配信は9月15日の予定です。


平成19年9月15日 -No.5/4-
 柏崎原子力発電所の運転再開が揺れています。過去のメルマガでも主張しましたが、原子力利用は化石燃料の大量消費から脱却するための過渡的な技術と考えています。発電所としての寿命に比べ、放射性廃棄物の寿命があまりにも長く、管理にコストがかかりすぎるからです。柏崎発電所が運用停止となれば、その場で保管廃棄されるでしょう。具体的にはコンクリートで厚く覆われ、監視のための装置(人?)が配置されることになります。そして、放射能漏れの監視は数千年は続けなければなりません。それだけの年月、地域は放射能汚染の危険を抱えることになります。超寿命の高放射性廃棄物は取り出されて別の場所で集中管理されます。その取り出し作業、運搬作業について、人々の理解を得るのは大変です。柏崎原子力発電所が廃止措置を受ければ、今後、新たに原子炉を建設したいという自治体は皆無となるでしょう。
 ところで、高放射性廃棄物の利用ですが、核種に分けてから、小さいサイズで封入し、放射能を電気エネルギーに変換できないものでしょうか。電離作用を持つβ線、γ線は利用できそうです。乾電池サイズが希望。半減期が数十年の核種を集めてもほぼ永久的に使えます。電源は無理として、熱源としてなら可能? もちろん、サッカーボールサイズ。1家に1個で、いつでもお風呂を楽しめます。ラジウム温泉ならぬ高レベル放射性廃棄物温泉!?。いずれにしても安全な封入技術と、2-3年に1回の定期点検が必要です。


平成19年9月22日 -No.6/4-
虹は七色と言われますが、皆さんは七色見えますか?どうも私には3色くらいにしか見えず、自分が近眼だから、くらいに思っていました。うちの小1坊主が、テレビに出てきた虹を見て、「虹って3色?」と聞いてきました。もしかして、3色はオプシンに対応するのではないかと閃いたので、「七色と言われてるよ」と答えました。3色と、その中間色と、両方の外側で七色です。とすると、4色オプシンの鳥や魚は9色の虹を見るのでしょうか。


平成19年9月29日 -No.7/4-
 遺伝子組換え生物の利用は「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」と言う、長ったらしい法律で規制されています。遺伝子組換え生物の危険性は、生物の自然界での多様性を損なう危険性であるという趣旨です。あまり釈然としませんが、バイオテクノロジーを利用した新作物は工業生産のように栽培され、その土地ではその作物以外は育たないように管理されるでしょう。遺伝子組換え作物だけではありません。人類は長い年月の間に数多の生物を絶滅に追い込んできました。
 過激な意見を申し上げます。多くの生物を絶滅させてきた人類の贖罪として、遺伝子組換え技術を用いて、天然では得られない遺伝子の組み合わせを持った生物をどんどん作り出すべきではないでしょうか。生物の多様性とは遺伝子の多様性、遺伝子の組み合わせの多様性です。もしかしたら、現在バイオテクノロジーの研究で生み出されている遺伝子組換え生物たちは少しずつ自然界に逃げ出し、人類が滅びた後の遺伝的多様性の礎になり、進化に貢献するかもしれません。


平成19年10月6日 -No.8/4-
 サラリーマン社会になったためでしょうか、ライフプランを考える場合、高価な買い物が中心で、そのためにローンが必要です。現在の日本人は収入の大きな部分を住宅に割きます。それに加えて教育、親の介護に多額の金を準備し、このままでは自分たちの老後の生活資金も必要になってきます。この中で、自由が利かないのがその名のとおりの不動産。就職や教育、家族構成が変化したときに、必要な場所で、必要な住空間が手に入ればいいのです。うちの場合は子供のお受験と親の介護をターニングポイントとして予想しています。
 目指すは贅沢を望まなければ現金が必要ない生活でしょう。もっと賃貸住宅の質が良くなり、値段が下がるといいのですが。ネットでライフプランを調べて驚いたのは、覗いてみたライフプランにいずれも親の介護が入っていないことです。現在のライフ・プラニングは順調な人生しか予想しておらず、人生でありがちなハプニングやリスクがまったく計算されていない。大手の提供するライフプランは事件が起きたとき役に立たないばかりか、事件にまわす金が出ない。ライフプランを参考にローンを組んだらローン地獄に陥る可能性があります。ライフ・プラニングでのリスク管理はどうなってるの?


平成19年10月13日 -No.9/4-
 経営手腕を評価するとき、現在は短期的な業績を問題とするようです。何しろ、長期的な成績を参考にするには、その間、経営を任せる必要があるからです。評価の結果、あなたは不合格です、はありえません。それを良いことに、様々な経営判断を先送りしながら現状をしのぐだけの経営者はいかに多いことか。訂正。多いのではないかと推測します。競争的な社会では競争自体に目が行ってしまい、長期的な視野を持つことができない。短期の成績を上げても、組織に無理をさせることで逆に組織が疲弊してしまう可能性が高いでしょう。一番大切なものは部下を育てること。経営者は若い世代に自分より優れているかもしれない能力を見出し、成長させることが必要です。
 部下を育てられない人間はいるものです。何人が直属の部下を配属されましたが、いずれもやる気を失って退職しました。ところが、それにもかかわらず出世したものですから、今は経営陣に入っています。人を育てられないのに、なぜ出世させてしまったのかが不思議です。来週、そんな後輩の送別会があります。


平成19年10月20日 -No.10/4-
 学校を優秀な成績で卒業して大企業のサラリーマンになることが必ずしも幸せではありません。第一に金持ちにはなれない。そう、金持ち父さんの言葉です。金持ち父さんの子供はみんな天才 ― 親だからできるお金の教育 (ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター 著、白根 美保子 訳 筑摩書房)を読みました。学校教育の中での成功と実社会での成功とは必ずしもリンクしない。なるほどと思いました。現在の教育システムは従業員と兵士を作り出すために開発されたもので、非常に有効に機能しています。たいていの人は学校を卒業するとできるだけ多くの人にサービスする仕事を探すのではなく、できるだけ給料のいい仕事を探します。必ずしも生活に必要ない物を買わされ、ローンを組んで銀行に利子を支払わせるように誘導されるのです。その社会の大枠を理解したうえで、安全第一にして間違いを起こさないように生きるか。自由を手に入れるためにどうするか。金持ち父さんはお金を持つことがその方法と考えています。僕も大筋で賛成。お金がないととても不自由です。


平成19年10月27日 -No.11/4-
 現在ではネット上で専門的知識を検索できます。大学の授業もテキストを公開しているところもあり、また、大学教員も積極的に授業内容のレジュメをPDF化して公開しています。資料やレジュメの印刷・配布の手間が省けるからです。単なる知識の伝達では授業は必要ありません。これからの授業の役割は何でしょうか。記憶力がメインであった授業は変わるでしょう。
 当然、知識の集め方や扱い方を訓練する場となるでしょう。学習課題に基づいて情報を集める手段を学習します。手段はインターネットに限りません。体験談や意見をまとめたレポートを作成する技術を学習します。最後にその発表を基にクラスみんなで考える。授業では発言を重視します。発言によってみんなの学習や理解の幅が広がったり深くなったりすることが重要です。
入学試験は基礎知識をもとに資料を読み、分析し、レポートを書かせる記述問題が多くなるでしょう。○×式や選択問題は基礎知識を量る共通テストだけになりそうです。高い学力についての定義がリテラシー中心に見直されるでしょう。
 中学校入試の説明会に出席しながら最近の教育の傾向についてこんな風に感じました。


平成19年11月3日 -No.12/4-
 今年はドングリがたくさん落ちていて、山は豊作のようです。柿のできもいいと聞きました。こんな年は野生動物も里に降りてくることも少ないでしょう。しかし、確実に数は増えます。来年かその次の年か、野山が不作になると農民と野生動物の戦いが始まるでしょう。鹿、猿、いのししなどが増えて、その害が報道されることが多い。そんなときに思い起こすのが狼復活論です。
 本来、里に被害をもたらす草食・雑食動物には自然が捕食者を用意しています。日本の生態系には狼がいました。狼を絶滅させたために草食動物が増え、植物相にも影響が出ているます。狼は危険でしょうか? 狼は慎重で、人間と接触しようとは決して思いません。人間の方が気付かずに、また、意図して挑発行為をするために、攻撃することはあるでしょう。トキやコウノトリ、マスなどを自然に放つことは良いが、狼はだめなのでしょうか。
 アメリカではフロリダパンサーを野性に返す試みが続いています。しかし、猫科の動物の場合はオス同士の殺し合いが問題になっています。オスは縄張りやメスをめぐって殺し合い、種を安定させるのに必要な遺伝的な多様性を維持することができないようです。中国でもトラの復活が計画されています。日本でもこの辺で山犬を復活させてみませんか。


平成19年11月10日 -No.13/4-
 はじめてマスコミが社会に登場したとき、その威力に人々は気付かず、軍部指導者が仕掛けたマスコミ攻撃に世論が無制限にフィーバーし、そして第二次世界大戦、太平洋戦争が引き起こされた。と考えていますが、すでに、マスコミが普及してから70年が経過しました。現代人は子供のときからマスコミが生活に入り込んでいます。新しい考え方や哲学が社会に定着するには3世代が目安でしょう。すでに、マスコミも社会の一部として必要不可欠な機能を果たしていると思います。
 そして、相変わらずマスコミは論理より感情に訴え、情報をとおして欲望(=消費)をつくりだしています。マスコミ自身は情報を売るのが商売ですが、手っ取り早く儲けるには国民の欲することを先取りし、それを大々的に表明することが大切です。望まないことは大義名分の中に埋め込んでしまい、神棚に祭り上げる(行政のせいにする)ようです。
 社会が不安定化すると、マスコミは確実にファシズムを培養する装置になります。ニュースが結果的に国民の気晴らしとして機能するのです。社会の不安感はマスコミを通して感情的で非寛容な怪物に成長する恐れがあります。このことはしっかり押さえておきましょう。
 マスコミ依存度の高い業種の代表格が政治家。政治家もマスコミと同じように大衆の望むことだけを主張し、大衆の味方として現在の有権者に甘くなってやしないか。正しいかどうかよりも表面的な印象を優先した政治を行ってやしないか。我々も甘言流言に惑わされずに判断できるレベルにちゃんと成長したかが問題です。
 少々仕事が立て込んできたので来週はお休みします。次回の配信は11月24日の予定です。


平成19年11月24日 -No.14/4-
 毎日新聞の書評で、大野晋さんの「日本語の源流を求めて」(岩波新書)を知りました。インドのタミル地方と日本との共通性を論じた仮説だそうです。ちょっと、地理的、歴史的に離れすぎで、学会では評判が悪いとか。岩田仮説の中では、「なるほど」となりました。
 18000年前は氷河期で、海面が約200m低下し、現在の東南アジアはスンダ大陸と呼ばれる広大な平原でした。氷河期と言えど、赤道が近いわけですから気候もよく、アフリカから進出してきた人類が文明を発展させるには好条件の環境です。ここに今の東アジア文明の原型である、言語、稲作、航海技術、原始的な宗教、木造建築技術が成立したのではないか、というのが岩田仮説です。
 10000年前から温暖化が進み、海面が上昇すると、スンダ人は得意の航海技術を使って、北は中国平原、朝鮮半島、日本へ移住し、東はポリネシアの島々へと展開しました。東南アジアはご近所ですから、ここに住んでいたスンダ人はそのまま、住み続けました。
 8000年前から遊牧民族が中国平原に武力で進出したためにスンダ人は中国の周辺へと追いやられました。彼らの言語はアルタイ語族として、ゆるい共通性を持ちます。
 というわけで、日本語は兄弟である朝鮮語とよく似ており、アルタイ語族や東南アジアの言語、ポリネシアの言葉と共通性があります。スンダ人の一部がインド大陸へ進出したとすれば、日本文化とタミル文化の共通性も説明できます。インドも遊牧民族アーリアの進出を受けて原住民は南へ追いやられました。
 スンダ文明の証拠は現在、海の底。岩田仮説の証明(反証による否定?)はいつのことやら。


平成19年12月1日 -No.15/4-
 二者択一で立場や態度をはっきりさせると、考え方や行動が限定されますから、決断はストレスです。誰だってできれば決断を避けて、どっちつかずの態度でいたいと思うものです。なにしろ、選択した行動の責任(首尾一貫性)を問われますから、捨てた方をもう一度、採用したくてもなかなかできません。多くの場合、二者択一で態度表明を迫られるのは弱い立場にある人たちです。やるのかやらないのか、どっちの味方か。様々な選択を強要されるシーンが思い浮かびます。
 本当は、責任者が態度表明しなければなりません。そのときの決断によって、短期的、長期的な視野について、また、政治や経営センスが評価されます。
 ところが、権力と責任をもつ立場にある人は、様々な口実を利用して、二者択一からは逃げようとします。決断するに必要十分な資料がないとか、まだ、決断の時期ではないとか、もっといい方法があるのではないかと。要するに、決断のセンスを見込まれての権力と責任がある立場に昇進したのですから、きちんと決断し、それに基づいて継続的な行動ができなければ、潔く身を引くべきと思います。が、実際にはぐずぐずと地位にしがみつく人が多いものです。


平成19年12月8日 -No.16/4-
 人間は近縁の類人猿よりも社会的学習のスキルがかなり発達しています。基本的には、幼児が大人を真似をするときの注意深さを観察するとわかります。記憶力や理解力はそれほど差がありません。人間が類人猿以上の知能を持つ基本は他人から教えてもらうこと。そして、その能力、すなわち、社会的学習能力は生得的に優れているだけでなく、一生を通して発達していく。そして、差がどんどん開いていく。これを文化的知性仮説といいます。
 人間は他人に依存しながら生活しているのですが、生活レベルが上がると不思議なことに個人主義的になります。社会の人々の活動に依存して生きているのですが、まるで、一人で生きているように感じるのです。それが生活が便利になった、生活レベルが上がったと表現されます。他人に依存していることを意識して行動するのは負担なのでしょう。できるだけ、他人の「おかげ」を意識せずに生活できるように、様々なサービスが提供されます。すなわち、他人のサービスを利用した恩恵がお金で清算されることで、自由を得た気分になります。
 最近はちょっと個人主義が行きすぎと言われます。みんなが自由に生きるために、かえって個人の自由、すなわち、労働時間での自由が極端に阻害されているのではないでしょうか。労働での不自由さが、行き過ぎた個人主義、つまり、単なるわがままを助長していると思います。


平成19年12月15日 -No.17/4-

今回は挽歌です。

驚いた。そういえば。美しい紅葉が今年に限って普段なら冬であるこの季節まで残っていた。不意に旅に出るがごとく君は逝った。
魂消た。そういえば。人がしり込みする未踏の課題を礎からデータを積上げ構築する研究者は世間の常識を省みず没頭していた。いま、紅葉となっては、そよ風でさえも耐えられず、散り行く。
帰り道、いままで枝にしがみついていたイチョウが青く澄んだ空から音を立てて舞い落ちた。本来の役目と、もうひとつの役目を無事に終えたと。
そういえば。その晩、大粒の雨が降った。天気予報では予期できなかった雨だ。


平成19年12月22日 -No.18/4-
 若いときは人生は可能性に満ち満ちていました。仕事でも、人間関係でも、希望と目標が高く、成功を得るために努力しました。しかし、年をとってくると、可能性がだんだん狭まってきます。長期間かかる仕事は自分でコントロールすることができません。主だった人間関係、伴侶や子供は変えることができません。上司や部下を変えるのはストレスです。社会、会社などの所属する組織が要求する人間像に束縛されています。体力も落ちてきます。だんだんと手詰まりの状況になってきます。そんな中で心掛けたいのは自分自身でいられる自由を手に入れること。自分の意思に反した行動を強制する相手とは戦いましょう。これからの人生の可能性をいくつか準備しておきましょう。選択できないことは不自由なことです。選択できないと希望も持てません。若いときは自然と希望が湧いてきましたが、年取ってきたら能動的に希望を見つけるのです。
 今週は風邪を引いて森羅万象の系譜は準備できませんでした。下痢性の風邪で、息子が学校からもらってきたようです。年末年始ですので、2回のお休みです。次回の配送は1月12日の予定です。


平成20年1月1日 -年賀2007-
子・・・父ちゃん、今の映画、すごかったね。Xマンが修行してパワーアップしたら一人で敵を全滅させちゃった。
父・・・こらこら、やたらに部屋の中で修行するんじゃない。ちょっと問題なのはキリスト教的メシア意識が強い筋立てだな。俺が子供のころからこういうのが多かったが。
子・・・メシ? 腹へったね。昼ごはんは何?
父・・・カレーウドン。とにかく、そいつは「世界を救うのは俺だけだ」という強烈なエリート意識に変化する。一人なら単なるキチガイだが、一族や国家になると、手に負えない。
子・・・父ちゃんにはエリはないの?
父・・・父ちゃんは平々凡々だ。修行はするがそれなりさ。世の中には時々メシアぶって「俺にすべて任せろ」といろいろ無理難題を言ってくるのがいるから困る。
子・・・賛成。塾行ってもそれなりさ。無駄無駄。


平成20年1月12日 -No.19/4-
自分の専門分野をまとめなおし、生体防衛論として始めたわけですが、どうも仕事と関連させると、あれもこれもと思い至り、これも書き忘れていたとか、これも調べておかなければと肩に力が入ります。すると、不思議なもので、だんだんと意欲が失われてくるものです。専門的な文章は読者と目的、ページ数がはっきりしていますから、構想さえまとまれば、比較的書きやすいものだと知りました。例によって、これは第1版として、とにかく、面白いと思うこと、ポイントと思うことをテーマごとにまとめていけばいいと考えることにしました。そして、いつかまた、構想を新たに、内容を吟味、整理して始めればいいや、と思うこのごろです。


平成20年1月19日 -No.20/4-
流行語大賞の候補になったKY。「空気が読めない」という意味と知って、びっくりでした。このメルマガでは磁場や電場をイメージした「場」として組織や集団の雰囲気を表現しましたが、それに類するものでしょう。若い人たちと話していると、いろいろと微妙な気持ちの揺れを感じます。今はマスコミを代表として様々な意見を踏まえて、その集団の雰囲気の上で会話が成り立つようで、その全体を空気とよび、空気が読めないと仲間はずれになりやすい。ですから、私のようにテレビをほとんど見ないおじさんは仲間はずれになりやすい。困ったことにマスコミによる情報提供や均質化された消費行動、マニュアル化された教育(学校に限らない)などを通じて、みんなは共通な体験や知識を持つので、逆に、些細な差を強調するような行動や発言となって、「空気」を分化させ、より複雑怪奇にしているようです。同じなんだけど、違うってことが大事、みたいな。そんなオーバーな表現を前提とするので、言い切り型ではなく、「ぼく的には」とか「〜かも」などと気持ちや感情を微妙に加えて、それを楽しむようになると、古い人たちはとてもついていけない。感情や雰囲気の細かなゆれを的確に表現する言葉が必要になるはずです。若者の使う言葉にそれが表れているに違いない。若い作家や作詞家がうまく言葉を醸成してくれることを希望します。KYじゃ、ちょっと戴けない。


平成20年1月26日 -No.21/4-
 久しぶりに北海道土産の白い恋人を食べました。企業倫理が問われた一連の事件ですが、不正はだいぶ昔から行われていました。ですから、最近は日本人の倫理観が堕落した、などと悲観する必要はないでしょう。昔からですから。むしろ、不正を見逃さない健全な社会になったのです。人のひった屁を数えるような風潮には閉口しますが。
 不正はどこから生まれてくるのでしょうか。誰もがごまかしなどやりたくないという性善説に立てば、それは窮余の策ということでしょう。経営をもっともっと効率化しなければならないと圧力がかかったとき、経営者や責任者が「己が犠牲になる」と、メシア的決断した内容が一人歩き。その後、誰もがその内容を訂正することができなくなってしまう。身内からの発想では恩人ですから。
 問題は、技術的合理性に凝り固まった経営方針。役員も、平社員も、みんなシステムを動かすための単なる投入資源に過ぎなくなる。必要に応じて、切り貼りされるだけの存在。そういえば、私も、最近、家のローンを払ったり、ブランド品を買うなど欲望を満たすために働いているような気がします。仕事とは、自分自身の可能性を探り、その可能性を発揮していくことではなかったか。次は赤福が食べたいのですが、まだ営業停止中のようです。


平成20年2月2日 -No.22/4-
 食料が不足してきたり、増えすぎたときに線虫は「仲間にゆっくりしようぜ」と化学物質を分泌します。「耐性」フェロモンと呼ばれますが、このフェロモンを感じると、線虫は動きを止め、状況が改善するまで貯蔵した脂肪で凌ぎます。こういった反応は様々な生物で起こります。水棲の無脊椎動物の場合、フェロモンで情報交換します。細菌ではオートインデューサー(クオラムセンシング)と呼びます。
 人間には化学物質による相互の情報交換はあるのでしょうか。集団では、善しにつけ悪しきにつけ、興奮状態のときには雰囲気をかもし出す化学物質、フェロモンを分泌するように思います。しかし、言葉や視覚、音声による情報交換が優ってあまり重要視されません。人間に限らず、陸上のいわゆる高等動物の場合は可能な限り、無制限に増えようとしているようです。ただ、餌が不足してくると、十分に成長することができず、おのずから産児数が制限されます。人間もかなり増えてきました。都市のような人が密集する環境下では、産児数を制限するような生理的な応答が起こっているかもしれません。少子化は生理的にプログラムされている? 人間の場合、情報伝達の方法がフェロモンから言語や視覚に変わっただけかもしれません。
 今の日本は成熟した社会です。悪くなることを恐れるあまり、全体として行き詰まり現象が起きているようです。これも「耐性」フェロモンか? このまま社会的地位が固定されたのでは堪らない、と、不運にも自分の能力を生かせなかった(と思っている)人たちが、秩序を破壊するような行動に出るのではないか。中国の周期的な社会変革が思い起こされます。


平成20年2月9日 -No.23/4-
 息子の中学受験が終わりました(No.11/4参照)。3勝1敗。なんとか近くの第一志望に合格することができました。友達には6勝3敗なんていう猛者もいたようです。これからの中高一貫の6年間は人生を豊かにするための準備期間です。そのために2つの目標を提案したい。
 まず、一生涯付き合えるような友達を得よう。精神的に成熟する時期ですから恥ずかしいこと(?)を共有する友達は一生の付き合いになりやすいものです。今、付き合わなくても注目する同世代は必ずいる筈です。話しかけてみよう。親友になる必要はなく、距離を置いた付き合いでもかまわない。注目される一芸(専門分野?)を身につければ必ず友達ができます。
 あんまり大学受験を意識しない学校を薦めたのは可能性をいろいろ試して欲しいからです。多少の回り道は人格を、ひいては人生を豊かにする肥やしになるはずです。大人になってからやりたいこと(希望する職業)を頭の片隅に入れながら、関連のあることをやってみよう。関係する現実も覗いておこう。もしかしたら花形職業の周辺に、おもしろい仕事があるかもしれない。キャリアデザインは完璧である必要はないですが、常に意識しましょう。


平成20年2月16日 -No.24/4-
 20世紀中ごろから古い固定的な社会システムが否定されて、人々は変化する社会に乗り遅れないようにライフスタイルを変えてきました。特に、サラリーマン社会は、家から男(労働者)を切り離し、家のことは女(専業主婦)がすべて面倒を見ることを常識として教育してきました。そして企業に都合のよい移動可能な核家族スタッフを大量に作り出しました。そのため、成長期が終わった現在、バラバラになった核家族は個人的な幸せと、残した家族への支援の間で悩んでいます。
 私も大学進学と同時に家を出て、10年間京都で過ごし、そして今の土地に住んでいます。その間、両親はずっと故郷に住んでいました。私も家内も1箇所に腰を落ち着けないライフスタイルを通してきましたから、これからも動くことがそれほど苦になりません。今は我々が子供から置いて行かれる立場になりつつあります。子供が帰ってくるのを家や土地を維持しながら待つのではなく、土地や家に縛られずに、子供のライフスタイルに合わせると考えるようになりました。子供が自立した土地で老後を過ごすことができれば、子供が老いた両親の世話に悩まなくてもすむのではないか。
 その場合、自分の築き上げた人間関係やステイタスが土地に縛られたものである限り(例えば、勤めた企業に限定されているなど)、その土地を捨てることが難しい。また、新しい関係を作るときのストレスを厭うようでは困る。現在の仕事場をいい加減な人間関係で済ませるわけには行きませんが、外に向かって新しい人間関係を生み出し、古い関係を復活させ、維持することが大事でしょう。


平成20年2月23日 -No.25/4-
 息子の中学入試が終わり、今度は家の引越です。東京の郊外の小平市に引っ越します。近くを玉川上水が流れていて、緑の多いところです。玉川上水は今から400年余り昔、江戸時代に掘削された人工水路ですが、鷹の台駅付近は上水路の両脇は粘土のような土壁で、その耐久性に驚かされます。水路はかなり深く、2-3m掘削されているでしょうか。当時の測量技術の正確さにも感動します。玉川上水に沿ってずっと樹林が保存されていて、羽村市から武蔵野市まで緑地がつながっています。
 菌類は樹木の根に寄生して、成長して時々きのこ(子実体)を作ります。樹木も菌類に水やミネラルの吸収を依存しています。菌類(菌糸)は植物を巻き込んで、森全体にわたるネットワークを作っています。最近の研究成果から、菌類は植物の間での栄養分の受け渡しも媒介しているようです。これを称して、森全体のネットワーク=Woods-wide web (WWW)と呼びます。玉川上水沿いの緑地も20数キロにわたってWWWを造っているのでしょうか。
 引越やら年度末やらで忙しく、3月は不定期発行になりそうです。とりあえず、来週はお休みします。次回は3月8日の予定です。


平成20年3月8日 -No.26/4-
 住み替えに伴って、多額の資金が必要です。先日は住宅ローンの選択に頭を絞りました。固定か変動か。固定なら何年にするか。今後の経済の見通しも必要です。このところの低金利政策で利子全般が抑えられていました。長期の固定金利はほぼ横ばい。変動金利もほぼ横ばい。ここに来て少しずつ変動金利は上昇しました。短期の固定金利は一時期、変動金利を下回っていました。住宅ローンは返済が確実なためか、ネットで公開している金利に、さらに1%ほどの金利優遇があります。
 金利予想に関する様々な記事を見ると、金利は上昇すると主張します。「しばらくは低金利だが、2-3年後には金利が上昇してくるだろう」 この言葉は金利と景気と両方について何度も聞かされてきました。しかし、地球環境を保つために天然資源の無駄遣いをなくす社会では、どうしても成長をバックボーンとした経済歯車は回らなくなります。局所的な成長はあっても、グローバル化のために、世界の経済は、ほぼ、ゼロサムになっているのではないでしょうか。
 利子は経済成長が前提で成立する約束と思います。地球環境を維持するためには低成長が必要です。おそらくは人類が大規模な破滅(成長がリセットされる)を経験しない限り、今までのような高金利は期待できないでしょう。


平成20年3月15日 -No.27/4-
 親からの遺産相続(生前贈与)を考えていたとき、ふと、子供に何を残してあげられるだろうかと考えました。金銭や生きる知恵のほかに何があるのだろうか。現代社会では遺産相続というと第一に経済的なもの、お金や不動産を思い浮かべます。親から授ける教育として、社会人としての態度や心構え、社会的な成功のための教養なども含まれるでしょうか。
 核家族化以前は地域社会での地位を含め、社会的な信用や職業・技能も相続するものに含まれました。俗に言う親の七光りも相続の一環と考えられます。個人主義的な社会ではお金に換算できるもの以外は相続できなくなったようです。もっとも、親が活躍した地域社会に引き続き生きることもできます。その場合は腐れ縁も一緒に相続することになります。
 親がその地域に根ざした活動をしていた場合は子がその活動を相続してくれないと寂しいと感じるでしょう。せっかく、地域で成功した事業も他人に渡すか、廃業することになる。何よりも一生をかけて培ってきたノウハウが宙に浮いてしまうのがやりきれない思いを生むと思います。昔は、事業・職業上のノウハウや地域社会での地位を受け渡す過程で、お金以外に人生哲学をも相続していたはずです。


平成20年3月22日 -No.28/4-
 光ケーブルを使った情報サービスが様々な媒体を取り込んで展開中です。今度引っ越す先にはJ:COM社がケーブルテレビ、IP電話、インターネット、携帯電話のサービスを提供しています。そこで、現在使っている@niftyから引っ越すことになりました。昔の富士通のプロバイダーのドメイン名infowebを持つメールアドレスともお別れと思うと寂しい限りです。新たなHPはフリーのHPサービスinfoseekを利用することにしました。ここも楽天に吸収されて、楽天の1サービスとなっています。同じようなサービスはYahooも提供していますが、Yahooでは3ヶ月更新がないと削除されてしまうそうで、infoseekはその辺があいまいでした。怠惰な私にとっては便利かも。URLはhttp://eco-evo.hp.infoseek.co.jpです。無料HPサービスを探し始めてから、なんと2日で引越(現在は複製)ができてしまいました。もう見れます。現在のHPは3月いっぱいでおしまいです。
 今回も森羅万象の系譜はお休みです。


平成20年3月30日 -No.29/4-
 仏教では様々な事柄に執着する心の働きを煩悩と称し、煩悩があるから苦しみがあると説きます。まったく苦しみのない人生がいいのかは別問題として、引越のときにとりあえずとって置いたようなガラクタや書物を一気に処分したかった。が、かみさんや息子たちと意見が合わず、だいぶ持ってくることになりました。箱詰めするのが大変。運ぶのが大変。箱から出すのが大変。箱や緩衝材を処分するのが大変。できるだけ身軽に生活したいものだとつくづく感じました。
 今回の配信は土曜日に間に合いませんでした。ケーブルテレビjcom社の工事が予約していた引越当日にできず、インターネットも接続できなかったためです。一度、下見に来たんだからすべきことをすべて確認して欲しいものです。昨日工事が終わりましたが、室内の端末からのケーブルや電源コードも太くて扱いにくい。もっとシンプルにできないものでしょうか。
 てなことで、てんやわんやの毎日です。森羅万象の系譜はまたまたお休み。かつ、次回はメルマガ自体をお休みします。次の配信は4月12日の予定です。


平成20年4月12日 -No.30/4-
 引越や入学式などの活動を通じて、新しい社会に入っていくことになりました。それぞれに出会いがあり、また、別れもあります。勤務先が変わっていないので、他の家族ほど、劇的な人間関係の変化はないわけですが、それでも新しい体験が待ち受けていました。
 電車通勤になって、いろいろな人を見るようになりました。それにしても、多くの人が様々な利害関係を持って生活していることに改めて感心します。人々にとって、生きていくだけに必要な収入を得られる仕事を持つことが重要ですが、ただ、食べて寝るだけでは人間として満足できません。何人かの仲間で構成される信頼できる共同体(家族に限らず)に属し、その中でプライドを持てる位置関係に収まることが必要でしょう。安定した小さな活動の場=社会に帰属していることが満足の第一条件です。
 現代社会では、そんな小さなコミュニティの集合体であって、そのコミュニティが利害関係、力関係で絡み合って複雑です。さまざまな利害が衝突しますが、衝突があることは健全な社会でしょう。争いのない状態や、争いが表に出ない状態こそ病気です。そして、社会は日常生活のレベルから国家レベルまで衝突や争いを調整する機能を持つことで健全と言えます。最近の政治家の活動とそれを批判するマスコミを見ているとちょっと心配になりますが。


平成20年4月19日 -No.31/4-
 新居では自動食器洗浄乾燥機を使い始めました。使って驚いたのは手洗いよりきれいになること。熱湯を使うためか、専用洗剤が強力なためでしょうか。いずれにしろ、手が耐え切れないような洗浄条件が使えるのがメリットなのでしょう。
 家庭用洗剤がなかったころ(ほんの50年前です)の食器の洗い方について祖母に聞いたことがあります。各人はお膳をもち、個人専用の茶碗と汁椀、皿、箸を置いておきます。食事が終わると、お湯を茶碗に注ぎ、沢庵を一切れとって沢庵で茶碗を洗い、そのお湯を汁椀に移して洗い、さらに移して洗い、最後に沢庵をかじりながらお湯を飲む。食器はそのまま戸棚に重ねて保管する。ですから、出されたものは一粒残さず食べることが基本条件。不潔と思うより先に実に合理的だと感心しました。祖母は食器をまとめて洗うようになっても食事後に必ず湯をもらっていました。子供のころは僕らも真似をしましたが。
 今の食器の洗い方は洗剤や水道があるからできること。災害などで使えなくなったとき、もしくは無いところで生活するときは参考にしたいものです。


平成20年4月26日 -No.32/4-
 自然は直線が嫌いです。自然の中に直線ができるときは特別な時。直線で構成された鉱物の巨大な結晶は宝石として珍重されます。でも人間は好きらしい。直線は簡単に予測ができる規則性を持ちます。予測できることは、すなわち、人間にとって安心できることを意味するからでしょう。ついでに、作業効率も上げるようです。
 かくして人間が自分自身の生活環境を整え始めると、どんどん直線が増えてきました。社会にも家の中にもたくさんの直線があります。心ならずも人の心に定規を当てるような文書主義の規則を作ったり、それを強制したりします。そんなときに直線で構成された社会に違和感を覚え、ちょっと位、外れてもいいんじゃないかと考えます。
 ということを象徴した住居が三鷹にある天命反転住宅である、ということを得丸さんから聞いて、先週、訪問してきました。得丸さんはこの家で人類の文明の起源(少なくともいくつかの文化的精神的要素)が洞窟にあると直感されたそうです。人類は洞窟で裸になった仮説。この先が楽しみです。


平成20年5月3日 -No.33/4-
 暫定的なガソリン税がまた復活しました。復活する理由は暫定的に決められた当時の理由ではなく、すでに既得権化した財源となっているからです。既得権化しても暫定的であったのですから、本来の理由を再吟味しなかったのは政治の責任でしょうか。
 税は一般財源化して、道路以外にも使うそうです。この点については異存がありません。そもそも、地球温暖化の片棒を担いでいるのは車社会であること。自動車関連産業は多額の税金を投入し、必要な道路を整備し、自動車の普及を促進したわけですから、それなりの恩返しが欲しいところです。輸出産業として日本の経済成長を支えましたが、その円高の見返りに農業などの基盤産業が破壊されました。
 ガソリンにしろ、道路にしろ、国民各自のエゴイズムに基づく判断が優先されて、大切な公共財が破壊されているように感じます。本当に、国民はすべての情報を合理的に勘案して判断しているでしょうか。国民の判断の名の下、環境や基盤産業や心の問題などが失われている気がしてなりません。その元凶は国民一人一人の判断が正確に集計されれば公共的な善と見なされる思想にあると思います。
 大体、すべての人に平等に信頼性の高い情報が与えられていると考えるのには無理があります。重要な情報ほど秘匿されるのではないでしょうか。また、情報が与えられても科学的に因果関係が解明不可能な、調査や実験に長い時間のかかる問題、確率しか分からない問題もあります。
 決断する人の責任は重くなる一方です。むしろ、その人の人柄が優先されてしまうのでしょうか。それとも識者の最大公約数という逃げ道でしょうか。


平成20年5月10日 -No.34/4-
 新入社員研修の時期です。研究職ですので、遺伝子組換えや実験動物関連の法律を解説することが多い。遺伝子組換え生物の安全性の話には頭を悩ませます。実験室レベルでは遺伝子組換え生物は増殖力が弱いので、モンスターを誕生させるのは並みの苦労では無理だろうと感じるからです。
 現在の安全性評価の原則は2つ。予防原則という考え方から、現在の技術でできるリスク評価を行って、マイナス面とプラス面を評価しようというもの。どちらの評価も線引きが難しい。そこで、実質的な同等性という考え方から、現在の生物と同じ性質なら、いいんじゃないかとされる。同じほど、価値は低くなるのですが。科学的なリスク評価が必須ですが、残念ながら科学技術は万能ではなく、不確実性を含みます。
 人間社会は食糧問題、感染症の予防、高度医療の問題など、多くの問題を抱えています。自然交配を繰り返して偶然に優秀な生物が誕生することを待っているほど、時間的な余裕があるのでしょうか。自然環境から得られた生物はリスク評価を必要としない、安全な生物でしょうか。なお、遺伝子組換え生物の利用の別の問題点として、大企業の独占や強力な除草剤や抗生物質が併用される危険性は警戒しなければなりません。


平成20年5月17日 -No.35/4-
 最近の若い人達の体格を見ていると「変化したな」と思います。中年の日本人の体格、東南アジア系、欧米系の人達の体格と比較してあまりにも細い人が多い。細いというより、皮下脂肪を感じない。脂肪を貯める必要がなくなったようにみえます。
 柔らかいもの、栄養価の高いものばかり、それも気軽にいつでも食べるものを取るので、内臓ばかりか、脂肪の比率も少なくても必要なエネルギーは賄えるのでしょう。我が家の子供たちは、我々が(中年の男女が)好む美味しい魚や野菜、肉すらも、硬いとか、食べにくいと敬遠する。それより加工食品やケーキ、アイスクリームに惹かれるようです。
 人類の進化では、煮炊きした柔らかいものを食べるようになって、内蔵に費やすエネルギーを脳に送ることができ、脳の機能が発達させることができたと考えられています。現在、起きている体格の変化はその延長上にあるようです。遺伝子自体の変化はそれほど速くはないと思われますので、もともとの遺伝子の潜在能力として現在の体格が組み込まれていたと考えられます。
 少子化でがつがつ食べる必要もないし、空腹を感じることもあまりない。その分、欲望や野心、闘争心も少なくなったでしょうか。満たされた世代?


平成20年5月24日 -No.36/4-
 玄侑 宗久さんの禅的生活(ちくま新書)を読みました。全編、フムフムの連続でした。普段から、自分で良しと思っている精神性、人生に対する態度は禅にあったのだ、と納得。無闇に理屈っぽいところも良し。現実に対して批判的な態度でありながら、結局、受け入れる方向で行動してしまう自分を第三者的に見ているところも良し。そして、今の自分の悩みがこんな文章で書かれておりました。「未来を批評的に観測してどれかを選ばなければならない場合、禅はほとんどその基準を提供してくれない。ただ選んで決断したことに対する覚悟は、禅的に造ればいい。」
 確かに、自分は問題意識を持ちながらそれを早急に改善すべきかどうかでいつも迷うあたり、この言葉は的を得ています。で、不自由な思いや、やりきれない思いをしているわけですが、「本当に望まない不足をも楽しめることこそ真の風流であり、それができる人が曲者。老子は曲なればすなわち全ったしと言うが、曲者こそが人生を長く楽しめるのである。」となってしまう、私は曲者なのでした。
 数年したらまた読んでみましょう。


平成20年5月30日 -No.37/4-
 ガソリンが高騰しています。40年も前にローマクラブが「成長の限界」を著して原油があと30年で底をつくと警告したときは、オイルショックが起こりました。私も中学生でしたから、そのときの社会的な状況を覚えています。ところが、1980-1990代は原油価格が低く抑えられていたために、原油回帰が起こりました。世界的な競争が激化したときでもあり、短期的な展望が重視され、産業界(社会)が原油に大きく依存することになりました。ここに来てのオイルショック。当然の成り行きでしょう。原油の埋蔵量はあと何年分あるでしょうか? もっとも、今回のオイルショックは原油の埋蔵量に限りが見えてきたというだけでなく、投機的な動きも大きいようです。
 この40年間、一貫して底流のようにエコ社会の技術基盤が整備されてきたはずです。小さくてエネルギー効率がよい電子製品。また、製品を作る製造ライン。そろそろ、開発された技術をライフスタイルとして統合し、ライフプランとして統合していく哲学が必要ではないでしょうか。


平成20年6月7日 -No.38/4-
 進化の原動力は自然選択と性選択としたのはダーウィンです。以来、それ以外の選択の可能性はあまり考慮されてきませんでした。人類の歴史を考えると、短期間に驚くほどの進化を遂げています。特に脳の機能の進化は速く、突然変異と自然選択、性選択だけで説明できるのか不安です。
 形質や機能の進化は単一の遺伝子の変化で説明するのは困難で、複数の遺伝子がいろいろ変化してその総合力として形質に現われると考える方が自然です。速く進化するには多くの小さな変異が効果的に積み上がったと考えることもできるでしょう。そうすると、ランダムに起こった多数の変異を組合わせた原動力は何か?
 通常は進化を集団として考えます。耐寒度を例に考えて見ましょう。寒さに強い性質は鍛えれば非常に強くなれる素質を持った人から、すぐに病気になってしまう人まで様々な人がいます。耐寒度を横軸に、人数を縦軸にとってグラフを作ると、おそらく釣り鐘型のグラフである正規分布になります。釣鐘の中央、一番人数の多い点が平均耐寒度に相当します(と、考えられています。誰も証明できません)。氷河期が到来すると、耐寒度の低い人たちは子孫を残すことができず、この集団は耐寒度の高い方へ分布が徐々にシフトします。この現象をもって進化を論じると間違いやすい。科学的には正しいのですが、重大な仮定があります。それはかなり大きい集団で成立する原理であることです。また、プレッシャーがなくなれば(上の例では温暖期になれば)、逆の変化が起こることも考えなければなりません。
 若い日本人たちの体型(プロポーション)の変化は著しく、遺伝子(ゲノム)は実はエンドウ豆の色や形の遺伝からは想像も付かないくらい自由度の高いものではないか、と感嘆しております。厳密な証明はありませんが、私は人間の突然変異の発生数は多様な変化(進化だろうか?進化は不可逆的な変化として定義するか)をもたらすに十分な量と思っています。
 そこで、ふと思いつきました。自然淘汰に加えて、世代を超えて受け継がれた情報が人類では淘汰として働きうる可能性です。言語活動もしくは類似の精神活動により、経験や自然に対する考え方を次世代に伝えることができれば、子孫は生き残る可能性が高くなります。まだ思いつきなので、いろいろと調査や考察を追加する必要があります。
ヒントとなる文章を投げてくださった得丸さんに感謝します。


平成20年6月14日 -No.39/4-
 3月に引っ越してから徒歩通勤から電車やバス、自転車を使う通勤になりました。電車やバスの時間に縛られるので、階段を駆け上ったり、ときには満員電車でもまれたりと、瞬発力と持久力を鍛えなおさせてもらっています。その中でも楽しみは、時折、一緒になる好みの容姿の若い女性。
 バスの中でその娘のちょうど後ろに立った。ふと視線を彼女に移したとき、彼女の手鏡はわずかに向きを変えたが、彼女の視線の残像を確かに感じた。そのときの胸の高まりは若人に戻ったようである。
 委細省略しますが、生殖機能が衰えた老人にも性欲が残っているとのご指摘をいただきました望月様に全面的に賛成。
 ホームページの簡単なプロフィールにちょっとだけ追加しました。
 今週は書類仕事を持ち帰ることも多く、生体防衛論は準備できませんでした。


平成20年6月21日 -No.40/4-
 3冊の貧困(底辺階級、格差)に関する本を読みました。意図してその3冊を選んだわけではないのですが、結果的に連続して読んだ本が貧困に関する本であったわけです。
 1冊目はタイトルがそのまま、「現代の貧困」(岩田正美著、ちくま新書)です。
 社会学者が書いた本で、よく整理され、客観的な主張がなされていますが、反面、インパクトが少なく、上からの視点を感じました。以下、一部抜書きを含みます。
 「貧困とはあってはならない状況であり、それをなくすべきと価値判断する。単に格差という言葉で社会を記述的に表現するだけではいけない。」 のがこの本の執筆動機です。筆者は貧困を絶対的貧困(命をつなぐのに必要なだけの生存費用を基準)と相対的貧困(人間らしい社会生活を営むのに必要な費用を基準)とに分け、貧困に陥った人の調査をして、「現代日本では標準型から外れた人生(単身継続、離死別、子供が多数、低学歴)を選択した(追い込まれた)場合、貧困のリスクが高くなっている。」と結論付けています。
 最近の傾向として、「学歴とはあまり関係ない多様な技術や経験を基礎とした自営業・小経営分野の衰退がみられ、」標準型とは特にサラリーマンを中心とした職業体制となっています。さらに、90年代はバブル後の不況期であり、新自由主義の流れが強まりました。自己責任の時代における無責任の典型として、路上ホームレスが看做されるようになりました。
 ではどうしたらいいのかというと、一般的に言われている目標がもっぱら掲げてあり、新味はありませんでした(だからメモがない)。最初の価値判断=作業仮説が誤っているのではないでしょうか。
 2冊目の本は江戸時代の庶民の活力ある生活態度について興味があったので選んだ「乞胸(ごうむね) 江戸の辻芸人」(塩見鮮一郎著、河出書房)。
 乞胸とは要するに乞食です。江戸時代に入り、徳川幕府は譜代以外の大名を取り潰すことで直轄領を増やしていきました。大名に仕えていたサラリーマン武士は当然、失業。武士の誇りが残っている人は浪人になるしかない。生活するには乞食をするわけです。
 「日本では乞食が公認されていた。僧侶は托鉢と共に勧進をおこなう。托鉢や布施は経済行為からすれば乞食と同じである。ただ、僧侶の場合は仏教の教えを説き、それが対価になっている。乞食の中には効率的にお金を得るために芸を行うものがあった。離別、死別で生活できなくなったもの、病気や怪我で不具になったものなどが生活するための手段であった。言い換えると、乞食も立派な職業だったのだ。また、社会も乞食を身分、職業として容認し、施しは自らの徳を高める行為として積極的に行われていた。」
「幕府官僚の目から見れば、株雲のは不良浪人と同じく目障りであった。社会不安をもたらすのではないかと、心痛の種になった。彼らを廃絶したいが、できないのなら管理の網をかけたい。源頼朝がそうしたように徳川幕府もまた、「賤民を統治するには賤民をもってする」という方法を選んだ。」
 かくして、幕府は武士階級の乞食を乞胸として特別扱いし、公式記録に残るようになったわけです。
 明治時代になり、欧米文化が輸入されました。ベルーフという職業観からすれば、施しをすれば、乞食をいい気にさせて、かえって労働意欲をそいでしまうとする。勤勉な努力を怠ったから今の境遇になったのだという暗黙の了解がありました。この辺の議論は先の本と同じです。「自業自得だから、ホームレスを排除するのは当然であり、彼らを薄汚いものとして冷たく見る。」
 江戸幕府は下層階級を作り、積極的に組織して社会の秩序を保ちました。先の筆者からすれば、この方法では永久に下層階級に固定されてしまう人たちができ、その人たちは不幸であるという結論になります。
 最後は推理小説と思ってと選んだ「冷血」(トルーマン・カポーティ著、佐々田雅子訳、新潮文庫)。実は小説ではなく、資料を大量に集めて分析し、その事件を再構成するという、現代的なジャーナリズムの祖となったノンフィクションでした。
 地方で名士として名高い家の善良な家族4人が縛られた上にショットガンで頭を吹き飛ばされるという残酷な殺人事件。起こした2人組は動機は金目当てでした。1人は事故で自制が効きにくい精神状態になった若者。もう一人は劣悪な家庭環境に育ち、社会からの疎外を常に感じ、社会に対する憤りを鬱積していた若者。2人とも知的レベルは平均以上であるが、定職に就けず、軽犯罪を繰り返して何とか生活していた。2人は絞首刑になった。
 彼らはいわば底辺に生きる人ですが、彼らを救う道はないのでしょうか。このような境遇の人物はどんな社会の仕組みであっても必ず誕生すると考えられます。
 メルマガを執筆する時間(早朝の気持ちのいいひと時)を学術論文の査読に捧げてしまって、生体防衛論はまたしてもお休みです。でも、電車通勤をしているので、少ないながらコンスタントに本が読めるのはうれしいことです。


平成20年6月28日 -No.41/4-
 Nature digest 日本語版6月号に集中力や注意力を向上させる効果がある薬の濫用の話が載っていました。
 薬の名前はメチルフェニデート(商品名「リタリン」)、モダフィニル( 同「プロビジル」)、β( ベータ)遮断薬の3 種類です。そういえば、リタリンは、最近、濫用がニュースになっていましたが、確か、うつ病の治療薬でした。記事ではメチルフェニデートは注意欠陥多動性障害(ADHD)の治療に用いられる精神刺激薬としています。大学のキャンパスでは「勉強の友」として、よく知られているそうです。モダフィニルは、睡眠障害の治療薬。全身疲労や時差ぼけに対しても使われている。心不整脈の治療薬として処方されるベータ遮断薬には抗不安作用もあり、この辺が知的能力改善薬としての効果のようです。もっとも、いずれも副作用もあるので要注意。
 Nature誌のアンケートによると、「薬物を服用する理由としては、「集中力を高めるため」という回答が最も多かった。僅差で2位となったのは、「特定の作業に対する注意力を改善させるため」という。」「美容整形の場合と同様、向知性薬をめぐる生命倫理的問題と心理的問題が解決され、文化的に受け入れられるようになれば、向知性薬の使用量が増えていく可能性は高い。」「私は、プロフェッショナルとして、自分の能力を人類のために最大限に活用する義務があると考えています。『機能改善薬』が、この人道的な貢献に役立つのなら、それを利用するのが私の義務なのです。」(以上、「」内は抜書き)
 頭をよくすると称する食品は問題なく流通していますが、このようなダイレクトな作用を持つ薬の場合、倫理的に問題があるように思うのはなぜでしょうか。いまや病気自体が少なくなってしまって、病気を治すための薬は商売にならない。現在は機能改善薬、外見改善薬(やせる薬なども)、そして、記事にあるように、美容整形が医療の花形になっています。歯医者も虫歯を治すのではなく、歯列を直す矯正歯科の方が多くなっているのではないでしょうか。記事の薬も、勝負パンツならぬ、勝負薬として使われています。一方で、スポーツ界はドーピングと称して、薬は禁じられています。
 脳の機能の解析も進んでいますから、手術による脳機能の改善、遺伝子組換え技術による人体改造も善しとされるようになるでしょうか? 麻痺などの身体障害のために脳機能を改善する手術や遺伝病を改善するための遺伝子投与がそのきっかけになりそうです。


平成20年7月5日 -No.42/4-
 新宿行きの急行を待っていた夕刻の駅。電車が入ると同時に、耳を劈くような警笛音。誰が危険なんだろうと電車を待っていた全員がホームを見回しました。電車は急停車し、ゆっくりと所定の位置まで移動してドアが開きました。電車の最後尾側のちょっと暗い端に誰かがうずくまっていました。寸前で思いとどまったのしょう。
 「人身事故のために電車が遅れます。」というアナウンスに、「またかよ、ちぇっ」と舌打ちする人もいる雰囲気。ただひたすら「人身事故のため」を繰り返して電車の遅れだけを謝る鉄道会社もなんか変。人の痛みを避け、というか、痛みを拒否して、安定だけをひたすら肯定する社会。外国の不幸のニュースを単なるお話と受け取る社会がこんなことから肯定されるのではないでしょうか。
 そのときは誰かの死を思い、自殺なら、その人の不幸を思い、しばし黙祷で捧げようではないですか。そして、それから乗換えの心配や満員電車の覚悟をするように心がけたいものです。
 今週は夏風邪にやられました。熱が下がるまでに3日かかると、老いを実感します。森羅万象の系譜だけを手直ししました。


平成20年7月12日 -No.43/4-
 このところ、2冊の人類史の本を読んでいました。整理しなおす必要があるので、森羅万象の系譜はお休みです。そのうちの1冊、5万年前 このとき人類の壮大な旅が始まった(ニコラス・ウェイド著、安田 喜憲、沼尻 由起子訳、イースト・プレス2007)から気になった話題を一つ。
 東ヨーロッパ(ドイツ、ポーランド、ロシア)に住むユダヤ人をアシュケナジというそうです。
 アシュケナジは約1500年の間、民族内での近親交配を続け、主に金融業に従事するという職業制限(知能重視)を設けてきました。おそらく、突然変異が作用した結果、彼らの知能指数はヨーロッパ北部の人々より高く、民族集団中、最高の115になりました。割合で見ると、知能の高さはいっそう際立ちます。知能指数が140以上の天才または準天才のヨーロッパ北部の人々は、1000人につき4人。これに対し、アシュケナジでは1000人に23人であり、6倍。ノーベル賞受賞者の割合をみると、アシュケナジはアメリカの人口の3%を占めるに過ぎないのに、アメリカのノーベル賞受賞者の27%はアシュケナジである。さらに、チェスの世界チャンピオンの過半数はアシュケナジ。
 ユダヤ人の民間伝承では、知能を高めるものは2つあった。1つは職業であり、もう一つは一番賢い子をラビにすることであった。ラビは裕福な一族の娘の夫にぴったりと思われていたので、子供をたくさん設けることができたという。アシュケナジの15%にスフィンゴ脂質突然変異があり(これを知能指数upの素因子と仮定している)、60%が遺伝病の素因子を1つか複数を持っている。
 遺伝病の危険性は増しますが、知能重視で交配(縁組)すれば、知能の高い民族となる。なかなか魅力的ですが、知能が高い人が多いのがよいのかどうか。学歴社会で格差社会はどんな遺伝子を選択するでしょうか。


平成20年7月19日 -No.44/4-
 先週、仕事で使っていたノートパソコンが故障し、予算の関係でしばらくノートパソコンなしで仕事をしています。以前は出勤するとまずパソコンを立ち上げていたので、パソコンは仕事に必須と考えていました。しかし、仕事場のみんなが1台ずつパソコンを持つようになると、機器の制御に使っているパソコンなどで十分仕事ができることが分かりました。1本のUSBメモリーで事足りています。
 人間とパソコンのインターフェースはキーボードとディスプレイです。したがって、この2つの必須コンポーネントだけからなるノートパソコンが独立したパソコンの究極の形でしょう。パソコンのマザーボードをどちらかに納めればよいのですから。翻って、この2つのコンポーネントが活動の場のいたるところに配備されれば、どこでもパソコンが利用できます。人は記録媒体を持ち歩くだけ。Web(ネットワーク)にソフトとハードディスクを求めれば、単純に個人認証のデータだけですむわけです。残念ながら、社会はまだペーパーフリーにはなっていないので、プリンターがインターフェースとして必須です。
 いままで、このような利用形態の記事をパソコン雑誌でなんどか読んだりしてきましたが、実践するのは初めて。紙で持っている資料もすべてメモリーに入れるようにすればもっと快適になるでしょう。コピー機にコピーと同時にUSBメモリーにもデータを落とす機能が付加されると便利。


平成20年7月26日 -No.45/4-
 今週は依頼仕事(こちらもなかなか面白い)に時間を割いたために、お届けするのは森羅万象の系譜だけです。
 電車通勤になってから、3ヶ月。今までにないペース(週に約1冊)で本が読めるようになった反面、メルマガ原稿に費やす時間がだいぶ減りました。このペースでは交互発行でもいいかなと思いつつあります。
 さて、小さな話題として、ちょっと暖めていた老化を遅らせる(寿命を延ばす)遺伝子についてメモを書いておきましょう。1つは5-アデニリルサイクレースです。5-アデニリルサイクレースはアドレナリンの信号を受け取り、細胞の活動を活発にします(特に心臓の鼓動の活発化)。マウスで5-アデニリルサイクレースを機能不全にすると30%寿命が延びました。体重が減り、心臓への負荷が減り、骨のロスが少なくなり、SODの生産量が増えたそうです。2つ目はサーチュインことNAD依存性脱アセチル化酵素です。サーチュインは多くのメンバーからなり、細胞内代謝状態(エネルギー状態?)のセンサーです。活発な細胞機能を抑制する働きから、老化や癌化、DNA損傷修復などに関与します。
 老化を遅らせるには5-アデニリルサイクレースに対しては阻害剤を、サーチュインに対しては活性化物質を摂取すれば良いことになりますが、どちらの場合も生理機能が低下し、血沸き肉踊るような人生は望めないようです。


平成20年8月2日 -No.46/4-
 先週は近くにある情報通信研究機構小金井本部の一般公開に行ってきました。最先端の内容が理解できたとはとても思えませんが、簡単な理科実験、複雑そうな装置(光学装置や電子機器)を見るだけで楽しい。催し物に研究者なりの工夫が出ていました。でも、研究現場の苦労の方が面白そうでした。2-3、聞いてみたのですが、すぐに専門用語が出てきてしまって、ちんぷんかんぷん。
 最近では日本の技術力を維持するために国を挙げてキャンペーンを行っており、理科系の催し物が花盛りです。理科系坊主たちにはとても楽しいことでしょう。ただ、理科好きでない人にはあんまり関係ないかもしれない。そうなると、市民が持つべき科学技術の素養なるもの、市民の科学技術リテラシーが行政的に登場してくるのです。この「持つべき」が問題です。科学の知識を使って身の回りにあるものに不思議を発見し、それを楽しむことができるようになればよいのです。科学的な考え方を知って、身の回りの不思議の理由を解き明かす楽しみを持てればいいのです。
 もう一つはSFでしょう。SFはだいぶ読みましたし、自分でも短編を書いてみました。空想の強度を高め、ストーリーの質を高めるためには科学の知識(SFの着想はここでしょう)はもちろんですが、社会、行政、法律、軍事、心理学などの雑多な知識を集めることが大変でした。
 最先端科学、テクノロジーと社会一般とを結合する活動については、専門的な人材を育成し、国の研究機関に配置するアプローチがあってもよいようです。専門家と一般市民との橋渡しの方法について、経験を分析し調査を行う「学」も必要でしょう。


平成20年8月9日 -No.47/4-
 ちょっと厚い本ですが、マヤ文字解読(マイケル・D・コウ著 増田義郎監修、武井摩利、徳江佐和子訳 創元社 2003年)を読んでいました。マヤ文字の研究者が、解読にかかわった人々や資料を紹介しながら、解読までの歴史についてまとめた本です。
 マヤ文字はアニメ風の絵で描かれています。文字がほぼ同じ大きさの正方形に収まっていなかったら、これが文字と思えなかったでしょう。人物や動物の横顔が特徴で、それに様々な文様が組み合わされて、発音や意味が表現されます。古代エジプトの文字のようです。漢字も、甲骨文字の前にもっと形象的な文字があったかもしれません。
 文字の解読の決め手になったのは、スペインが中央アメリカを侵略したとき、牧師が現地の人に言葉を教えるのに、スペイン語の音を現地の文字でどう書くのかを調査した記録です。そのころはまだマヤ語は言語として機能していたわけです。マヤの文字や言葉の体系はスペインの侵略と共に根こそぎに破壊されました。都市に保存してあった書物もすべて焼却され、碑文の文字だけが残りました。
 著者の興味は、独自に発展したマヤの文化が旧大陸の文化とどの程度共通なのか。文化は遺伝子が決めるのかどうか、私も興味を持ちます。
 来週はお盆休みです。次回の配信は8月23日になります。


平成20年8月23日 -No.48/4-
 「環境に優しい」とは現時点でのインプットのエネルギーである太陽エネルギーの中でやりくりしろという発想です。それ以上の活動は温暖化を招くからです。このスローガン達成の暁には人類の活動はエネルギー的に大幅に制限されるでしょう。そして、人類は絶滅の恐怖から救われる?
 しかし、天変地異を考えると太陽エネルギーに非依存的な文明も考えておかねばなりません。74000年前、スマトラのトバ山が噴火したとき、人類はほとんど絶滅しかけました。当時の人類は当然のこと、太陽エネルギーのみに頼る生活です。同じ規模の火山爆発はイエローストーン国立公園の火山で、65万年前に超噴火。しかもほぼ65万年ごとに爆発を繰り返しているようです。
 火山の冬、巨大隕石の衝突による冬、核戦争による冬など、太陽エネルギーが長期間、大幅に減少することで人類は危機に立たされるのです。完全に太陽エネルギーに依存したら、絶滅の崖っぷちです。この危機を乗り切る方法とは? 食べ物はどうする? 巨大火山の噴火はおそらく最も頻度が高いでしょうから、いくつかの「冬」の規模・期間を調査する必要があるでしょう。


平成20年8月30日 -No.49/4-
 この1年で、身近な4人の癌の罹患の話を聞きました。現在では、癌は必ずしも不治の病ではないとはいえ、治療費も時間もかかる病気であることには違いありません。1年間にわたる抗がん剤の投与。手術。何で私がこんな目にあわなくてはならないのか。
 日本では禅的な悟りの思想があります。「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。」 良寛
 この思想を土台として、日本人は人生とはなにか悲しいものと考えるようです。演歌のテーマのよう。不幸のみが常なるもので幸福は過ぎ去ってゆくものだと。この考え方は不幸なときに、不幸な人にカタルシス効果をもたらすのです。禅的に表現すれば自分の運命と和解したような気になり、世界と一体化したように感じるのです。自分も中年以後によく利用するようになりました。
 そして、見舞いに来た人に、つまり、公の場では自然に振舞うのです。裏にある悩みが見えるだけに、そこに切り込むべきか否かで迷います。「私」を消し、一般的な話として症状や治療法やその効果について話します。一人で病院のベットに寝ているときは孤独でしょう。私にできるのは、あなたは一人ではないんだと、足繁くお見舞いに通うことでしょうか。


平成20年9月6日 -No.50/4-
 最近、悪人(吉田修一著、朝日新聞社)という小説を読みました。その中に刑事が被害者の携帯電話の着信記録を辿りながら犯人に迫る事が出ています。考えてみると、メールを打てば自分と相手の携帯電話には記録が残るわけですから、正確な行動記録を残しています。
 携帯電話、スイカなどの電子マネー、クレジットカードは確実に記録を残し、言い換えると、監視が可能ということになります。国民にすべてIDを貼り付け、そしてこれらの電子情報を集積すれば、監視社会ができます。監視には不安が伴います。監視が不安なのは監視者の価値観によって自分の行動が縛られ、不利益を被る可能性があるからです。
 いまのところ、これらのデータが統合されて突きつけられることも無く、したがって、プライバシーが侵害されているような感覚はありません。が、プライバシーの侵害は、「見ているよ」と宣言されることで、その人の行動に影響がでる場合に発生します。見知らぬ他人の犯罪のせいで、警察や公安があなたのプライバシー、特にすべての電子記録を捜査し、いきなり、突きつけてくるやも知れず。権力ならまだマシですが、会社の上司が電子データを扱えるようになったら。。。これが監視社会だ。


平成20年9月13日 -No.51/4-
 帰宅時、ちょっと遠回りになりますが、公園を通ります。木立は多いのですが、体育館やグラウンドもあり、夜でも明るい。近道は上水沿いで、夜は暗くて静かなのはいいのですが、寂しい。今は学園祭の準備なのか、公園がにぎやかです。若者たちがにぎやかに騒いでいるような雰囲気が好きです。車座に座って話し込んでいるグループ。楽器の演奏や合唱をしてる集団。体育館でバスケットをする姿。入り口の大きなガラスに姿を映しながらヒップホップダンスの練習をする女の子たち。笑い声と嬌声がちょっとうるさいですが、そこは夜の公園ですから。


平成20年9月20日 -No.52/4-
 息子の通う私立中学の文化祭に末っ子と一緒に行ってきました。小学校2年生になる末っ子に渋谷の町を見せるのも1つの目的です。小平市に住んでいますので、西武線、中央線、京王線と電車を乗り換えて約1時間。普段、電車に乗っていない末息子はそれだけで楽しかったようです。たくさんの人。ビルの谷間の広い道路。高架を走る高速道路や電車。迷路のような地下道。デパートやマークシティの中の商店街。
 文化祭も楽しんだのでだいぶ疲れたようです。私も小さいときに母や父と一緒に行った長岡や新潟の町がなんか別世界に見えて、1日が夢の中のように思えたのですが、同じように感じたでしょうか。日常と違う町。上の息子はすでに渋谷の町が日常の一部になっています。
 来週は学会で出張しますのでお休みします。次回の配信は10月4日の予定です。


平成20年10月4日 -No.53/4-
 日本人が戦争を語るとき、戦争自体が悪い、戦争自体をなくさなければならないといいますが、戦争を起こそうとした人や団体については言明を避けます。すなわち、特定の団体(国? 財閥?)を名指して戦争を起こした理由を断罪することは無いようです。不幸な戦争を起こさないようにしようと片付けて、それ以上に踏み込みません。日本人は、なぜか悪を悪として認識する態度があいまいで、悪と正面から取り組もうとしません。このことは最近読んだ本のどこかに書かれていたのですが、書名が思い出せません。悪と徹底的に戦う意思が無い日本人を指摘したのはルース・ベネディクトの「菊と刀」だそうです。
 そういえば、神道は、官軍だけでなく、匪賊の長も祀るようですし、妖怪や不幸な死を迎えた荒ぶる魂を持った人も祭ります。勝者による正義と悪とに2分する態度も潔しとしません。争いによる不幸な出来事について述べることで、利益や立場の対立や悪意を生み出す環境を暗に牽制しているようです。運命を認める諦観が背後にあるのでしょう。ただ、このような解決法では構造的矛盾が明白になりません。何が悪なのか、何が不幸を生み出すのか、もう一歩深く考える必要があるようです。
 人口や人類の活動が飽和に達していますので、わずかな気候変動で食の基盤が失われると、争いの多い時代に変わる可能性があります。 争いを必要悪として、さらに何が悪なのか、何が不幸を生み出すのかを深く考えた社会がこの危機を乗り切るのでしょう。


平成20年10月11日 -No.54/4-
 そういえば、最近、購読しているメルマガの数が減ったような気がします。力の入ったお気に入りが特に少なくなりました。また、やたらに宣伝が多いものが増えて読みにくくなりました。一時期、金儲けができますよという宣伝があったのが影響しているのでしょう。個人の情報(意見)発信というとブログのほうに主力が移ったのでしょうか。しかし、ホームページを毎回訪ねて文章を見るのもなんか面倒くさい。
 ネット社会の普及で自称評論家が大量発生し(メルマガ・ブログブーム)、結局、「言うことは言った、憂さは晴れた」ですんでいるのかもしれません。また、過剰な期待をもってメルマガを始めたが、他の人はうまくやっているのに自分にはなかなかスポットライトが当たらないと、腐っているのかもしれません。
 いずれにしろ、書くことが好きであること、書いておきたいことが無いとメルマガのような媒体は続かないものでしょうね。


平成20年10月18日 -No.55/4-
 メルマガをかいているとき、一番気になるのはリンクです。特に生体防衛論では論文などの紹介になりますから丁寧にリンクを張りたいところですが、ハイパーテキストでリンクをかくのはちょっと億劫です。専用のソフトを使わずにノートパットで手書きですから。本メルマガでは主に論文の内容を紹介する場合、典拠を、雑誌名(Nature、Scienceが多いですが)と巻、ページ、年で示しています。
 考えてみると、現在はグーグルが開発した強力な検索システムがあるはず。これならリンク切れを気にせずにキーワードを提供するだけで目的とするサイトにいけるはずです。ハイパーリンクはピンポイントで強固なリンク。グーグルリンクは弱いリンク。専門性の高い情報に関してはグーグルリンクの方が一般受けするでしょう。


平成20年10月25日 -No.56/4-
 先週の日曜日は小平市の市民祭。その前夜祭として市民文化会館(ルネこだいら)でダンスフェスティバルがありました。子供たちを連れてダンスフェステバルを見に行きました。小学生たちがジャズダンスやヒップホップを自由自在に踊りまわるのにびっくり。ジャズダンスやヒップホップはテレビの中のプロのダンサーだけのものと思っていました。表現の豊かな子も何人かいて、将来が楽しみです。あっという間の2時間。シニアの参加はハワイアンとヨサコイ節だけで少しさみしい感じがしました。私の子供時代はダンスと言えばフォークダンスや盆踊りで見せるダンスではありませんでした。一緒に踊れないのがちょっとさみしい。


平成20年11月1日 -No.57/4-
 先週の日曜日は近所の白梅学園の学園祭に息子と行ってきました。こどもの教育を主要なテーマとする小さな大学・短期大学です。女子大と思っていたのですが、男性もいるようでした。親父はかわいらしいコスチュームで客寄せをする女子学生に思わずムフフ状態になります。子供の扱いに手馴れたお姉さまに指導されながら、息子も簡単な工作やゲームを満喫するのでした。さすがにプロの卵で、子供を甘やかすのではなく、ルールはルールとしてきちんと説明し、秩序ある遊びにしていました。


平成20年11月8日 -No.58/4-
 学園祭第二弾。武蔵野美術大学です。ここはメジャーなので、たくさんの人、たくさんの催しがありました。美術展が100個も同時開催されたようなものです。来場者は3日間で全部見ることができるのでしょうか。私は3時間ほど居ましたが、1棟しか見れませんでした。学生によるたくさんのフリーマーケットが特徴的で、自らの作品を含めて様々なものを販売していました。
 ちょっとしか見ていないので大きなことは言えませんが、デザインやイラストレーションが多いのが意外でした。油絵や日本画、ブロンズ像のようないわゆる美術の授業でテストに出るような一般的な美術作品が見当たりません。また、コンピュータを使って映像を見せる、光や影を使うなど、見慣れたものを様々な演出によって新しく見せる工夫が楽しい。たまたま私が入った棟がその分野だったのでしょうか。来年はもっと時間をかけて見よう。


平成20年11月15日 -No.59/4-
 究極のマン・マシーンインターフェースは人間の運動神経や感覚神経を機械と直接結合することです。サルやネズミをモデルとして、神経末端と機械の電極を結ぶ技術が研究されています。主に、身体障害や麻痺を持った人への機能補助として研究されています。また、軍事、災害救助など危険が想定される場で機械やロボットを遠隔操縦する技術として健常人に対する応用も考えられているようです。
 脳に直接電極をセットするのでは、技術的に難しい。ニューロンはみんな同じ姿で、どのニューロンに電極をセットするかが判りにくい。また、手術が必要です。考えてみると、人間の体で余っている運動神経はしっぽにありそうです。もともとあった尻尾はサルのように手足の補助として機能していたわけですから、退化したとはいえ、運動神経が残っていそうです。尻尾(尾てい骨)の運動神経に端末を装着し、機械とのインターフェースを形成する。尻尾の機能から推測すると、歩行動作を無意識で行う足と同じで、単純な繰り返し運動ができそうです。人工の翼なんか魅力的です。


平成20年11月22日 -No.60/4-
 今シーズン初めての大型寒波がやってきました。寒いときは便座を暖めるタイプのトイレは助かります。待機電力がもったいないので一番低い温度にしますが、それでも気持ちがだいぶ違います。最高温度にすると、なぜか気持ちいい。
 トイレに座っていて思いました。人間は恒温動物だから、生活まで恒温に変えようとする。最近では家全体を暖めるようになりました。冬でものびのび働けるのはいいのですが、反面、空気が感想気味。窓もひどく結露するようになりました。心なしか、壁も湿っているようです。夏は逆にクーラーで冷やします。恒温生活は快適ですが、資源の無駄遣いではないかと思ったりします。
 馬上、枕上、厠上はいい知恵が浮かぶそうです。現代生活を恒温度で評価してみるのはいいアイデアかな?


平成20年11月29日 -No.61/4-
 今週は当局の実地立入検査を受けていました。最近では業務にあたり、組織を整備し、標準手順書を準備して、第三者が確認することにより品質保証をする仕組みが浸透中です。その第三者認証が当局による立入り検査です。研究の様々な面でこの手続きによる縛りが入り込んで、組織を水ぶくれさせている印象があります。
 担当官は身動きもできないほどしっかりした組織(管理マネジメントシステム)を文書で規定してそのとおり実施することが信頼を得るために必要と説明していました。実際、不特定多数の人々に対して信頼を築くことが組織の存続のために必要な社会情勢になってきました。それなりの労力とコストはやむをえない。
 しかし、業務のすべてを文書で規定するわけにいきません。また、文書化された組織を理解できるのはホワイトカラーです。いわゆる大工さんや漁師さんなど技能を持っている人(われわれ研究者もそうでしょうか)は技能の習得に時間をかけるために文書化された組織について勉強する暇は余りありません。
 釘もまともに打てないようなホワイトカラーが熟練した大工さんを管理するような工務店方式がまかり通るのは第三者認証志向ゆえでしょうか。熟練した技能者(専門を極めた研究者!)は給料も低く、たいして物も作れないが理屈ばかり言う輩が多額の給料を得る仕組みになっているように思えます。


平成20年12月6日 -No.62/4-
今週は時間がなくて前書きを準備できませんでした。来週は学会に行きますので、メルマガはお休みです。次回の配送は12月20日の予定です。


平成20年12月20日 -No.63/4-
 今週は翻訳の手伝いをしていて、生体防衛論が間に合いませんでした。取り組んでいた言語と生物学に関する科学エッセイは面白く、しばし、考え込んだことも多い。もっとも新たなフェーズに入った生体防衛論の構想が甘かったことも原因です。来年は感染症と離れたところで防衛論を展開するようになります。体は敵味方の区別がはっきりしない戦いも常に行っているのです。
 いつの間にか年末になりました。例年通り、年末年始の27日と1月3日はお休みします。次回の配信は1月10日の予定です。


平成21年1月1日 -年賀/4-

兄弟がレゴ・ブロックで遊んでいました。
弟:ほら、ここが尻尾で、ここが頭で、目がこの辺にある。
兄:目なんかないじゃないか。大体、尻尾が四角いなんて変だ。
弟:だって、仕方がないじゃないか。兄ちゃんの車だって角々でイボイボだ!
父:レゴ・ブロックは少数のデジタル・ユニットで無限の形を作り出し、世界を模倣するけど、アナログ的な模倣に比べて粗い。そう、ちょうど、脳がデジタル的な言語で世界を語るように。
兄弟:モホー? 最近の親父はワケわかんねえ。

今年もよろしくお願いします。


平成21年1月10日 -64/4-
 今年の正月は久しぶりにスキーを楽しみました。前回スキーをしたのは子供が生まれる前で、スノボが出始め、バブルが崩壊した頃です。すっかり落着きを取り戻した(閑散とした?)スキー場は、スノボ7割、スキー3割といった風で、リフト待ちの長い列もありませんでした。
 スキー初体験の息子たちは大苦戦。怖いと思った瞬間に転ぶんだ、の親父の声に励まされ(?)、半分べそをかきながらと長いスキーと斜面と戦っていました。スキーの怖さはスピードがコントロールできなくなる怖さ。リフトに乗って高い所から初心者コースを下りてきましたが、1時間半もかかりました。達成感はあったようですが、ちょっとは楽しめたんでしょうか。


平成21年1月17日 -65/4-
 ここ2週間は開発をテーマとする申請書を書いていました。最近の予算額の大きな申請書は「機構」が経営内容まで踏み込んだ書類を要求すようになり、より上の職階まで責任を要求されることとなります。申請作業にベンチャー等の育成(経営素人の研究者の教育)も兼ねる意図を感じました。
 科学が専門的になると、その最先端で活躍する研究者は興味を研究に限定しないとやっていけません。社会貢献まで射程にとらえた「権威」としての科学者、教育者ではなく、「名工」としての研究者、技術者になります。社会が大学教員や国立研究所の職員に専門分野での高い貢献を要求すればするほど、いわゆる専門バカを育成することになるわけです。
 経営や教育、実用化、マーケティングはそれだけで数年から十数年を費やして身につけるようなスキルです。深い専門的な知識体系と同じく習得するのに手間のかかるスキルです。それだけに、一般個人に両方を要求するのは無理があります。研究成果の社会貢献を促す仕組み、社会貢献を先に立て、研究を促進する仕組みづくりが「機構」の責任でしょう。でもそれって、一般企業が自前でやっていること?


平成21年1月24日 -66/4-
 生物の多様性は遺伝子の多様化によって生じます。その原動力は遺伝子重複。同じ遺伝子を複数個作り出すと、1つを本来の機能のために保存しながら、残りの遺伝子の変異を試す余力が生まれます。ただし、生命を維持するために重要な遺伝子では多様化は起こりにくい。多様化が起こりやすいのは環境が変化した時に起き出して活躍する遺伝子です。また、遺伝子重複では全く違った遺伝子ができるのではなく、スペシャリストが誕生するようです。
 たくさんの遺伝子を抱えるにはより多くのエネルギーを必要とします。資源の豊富な条件ではたくさんの余分な遺伝子を抱えることができるために、生物はいろいろな遺伝子を試すことができ、多様性も増すように思えます。しかし、実際には逆で、資源の豊富な条件下で勝ち残るのは最も短時間で増殖して競合種を圧倒するごく少数の種のようです。水分やリン、窒素などを欠乏させる実験では、多様性が増大する傾向があります。厳しい制限に対処するには、多くの特殊化した能力が必要とされるためのようです。人間の活動によって起きる富栄養化では適応種が他の種を凌駕して生物の多様性が失われるのです。
 世界経済も厳しい状況を迎え、資源が欠乏する時代も迫っているようです。人間社会は生物のように欠乏下で多様性を生みだして乗り切ることができるでしょうか。生物は多様化するだけでなく、相互に利用し、利用されることで、それぞれの特殊能力を生存環境維持に活かしています。


平成21年1月31日 -67/4-
 小学生の息子がインフルエンザにかかりました。学校に連絡すると、治ったら医者から治ったことの証明書をもらってきてくださいという。インフルエンザがウイルス感染する病気であることは確かですが、治ってからもう一度医者に行く必要があるのでしょうか。熱も下がり、のどの状態も元に戻ったらウイルスの排泄はなくなりますから、感染の恐れはありません。医者もウイルスの排泄をきちんと調べてサインをするわけではないですから、ほとんど無駄な医療費でしょう。
 このような書類を要求する背景は、安全で安心な社会というイデオロギーと思われます。風邪を人に移すのは罪である。勝手に判断するのではなく、権威者に証明書を貰わなければならない。責任はその権威者に転嫁する。安心するためには権威にすがる。また、このような心理的なバリアを設定することで、いい加減で無責任な判断や行動にくぎを刺す。
 リスクを徹底的に排除する姿勢で物事を考えると、生活が不便に、堅苦しくなります。自動車に例を求めましょう。自動車は交通事故を起こすリスクがあるから、運転する資格を免許制にしました。おかげで自動車がより安全なものになり、便利で普及しました。免許事業は一大産業になりました。いまでは運転免許は当たり前のこととして社会に組み込まれています。それでも交通事故は発生し、今や環境汚染も重大問題です。自動車について厳しく規制すると、次の段階は自家用車の禁止。これは不便だ。こうなる前に道路の改良や排気ガス規制など、一般ユーザーが不便を感じないところで規制が行われています。この社会的費用は必要なのか? 
 話がそれたようです。ただ、単なる不安に基づいた監視社会だけは御免こうむりたいものです。


平成21年2月7日 -68/4-
 インフルエンザの流行で、マスクが不可欠になってきました。特に、エアロゾル感染(飛沫感染)の知識が社会の常識になると、常時、マスクを着用するのがエチケットになりそうです。NHKの番組でエアロゾルの実験をしていましたが、くしゃみと咳とが十分区別されていないようでした。
 エアロゾルを問題にし始めると、人ごみの中でマスクをしないですむ合理的な理由がなくなります。ウイルスの感染に限らず、単なるくしゃみでも、唾液を原料とするエアロゾルが辺りを漂うとなると、気持ち悪いと感じる人も多いと思います。
 最近では大きなマスクをする人が多くなりました。オジサンがマスクをすると怪しげな雰囲気になりますから、できるだけ抵抗しようと思っています。この後に花粉の季節が控えていますから、日本の冬と春はマスク・ファッションを無視できません。「眼だけ美人」だと、得かも。


平成21年2月14日 -69/4-
 最近の不況は不思議です。売れないから利益が出ないとマスコミは報道していますが、売上の減少以上の赤字になっているようです。要するに、金融バブルが崩壊して、株価が急落した結果、総合的にみて企業の経営が苦しくなったのでしょう。
 今までは、大量に生産することでコストを下げ、安く売るという勝負を基本に、よりよい製品を出してきました。ある程度の売り上げがないと利益が出ないので、買換えを促すための製品の改良。しかし、このサイクルが破綻し始めているのではないでしょうか。もう、豊かな生活ができるだけの消費財を十分に手にしている。発展途上国ではそんなに良い製品を必要としない。したがって、製品が安くなり、先進国では利益が出ない。
 これからは供給する方法を工夫することが勝負かもしれません。インターネットを利用した通信販売の世界では、在庫を持たずに販売できるようになりました。たまにしか売れないものでも、在庫の管理コストがかからなければ、いつまでも、何種類でも売り続けることができます。ということは、必要な時に必要なだけ生産するのが勝負。そして作ることができる消費財をより多く持つのが勝負。1種類だと1万個売らなければなりませんが、1万種類ならそれぞれ1個ずつ売れば利益は同じはず。
 究極的には注文販売。効率的にこなすために、万能機械でも開発することになるでしょう。でも、そんな生産装置は可能でしょうか。1つは人間の頭脳と手だと思います。設計図や製品、部品、販売を管理するコンピュータシステムの助けがあれば可能でしょう。常識的な考えですが、要は売れないから製品カタログから除くのではなく、ずっと載せ続けるのです。


平成21年2月21日 -70/4-
 先週の土日は2月にしては異常なほど気温が上がりました。
 近所の図書館に向かう途中、玉川上水沿いの散歩道を歩いていたら、コッコッコという音。雑木並木を見上げると、いつの間にか取り付けられたのか、ドングリの木に新しい小鳥用の巣箱がありました。コココ、トトトの音はその辺りから聞こえてきます。ヒョンと動くものを認め、目を凝らすと、コゲラがいました。そしてその上にもう1羽。木をくちばしで叩く音がリズミカルで心地よいものです。さ、さ、と木の幹を移動しながら、虫を探しているのでしょう。
 異常気象で木の中の虫も活発に動き始めたのでしょうか。コゲラも真冬のワンチャンスに、お腹いっぱい食べることができたでしょうか。


平成21年2月28日 -71/4-
 現代の働き方はサラリーマンが中心。サラリーマン社会では給料をもらうのが当たり前と考えます。従業員として我慢して仕事をすれば給料が入ってくるのが当たり前。
 かつての一次産業、二次産業では労働時間と生産される価値は、ほぼ比例していました。それで、マルクスは労働を売ること=商品を売ることという発想ができました。しかし、3次産業や知識産業になると、等式が成り立たないことが多い。1日1時間しか働かなくても、しかるべき価値を生み出した人は相応の所得を得ます。逆に、1日、馬車馬のように働いたとしても、世の中に対して価値貢献できていなければ報酬は微々たるものです。
 結局のところ、収入はどれだけたくさんの人にサービスできたかで決まります。研究職をやっていると、新しい技術を生み出す、新しい製品を生み出すことが所得につながります。これは企業家の考え方に近く、できるだけ多くの人にサービスするビジネスを作れば百万長者になれるという考え方です。
 ある程度大きくなった子供に対しては、小遣いをもらうのが当たり前という教育方針は見直すべきかな。


平成21年3月7日 -72/4-
 生まれながらの障害、事故や病気による障害、離死別などの不可抗力によって貧困に陥れば、自らもしくは家族の命を維持するために反社会行動を執らざるを得なくなります。行動を起こす前になにか救済策はないか。
 現在は、貧困に陥っている人を発見し、社会的な援助を与える救済策が実行されています。経済的な援助があっても精神的な障害がある場合は犯罪を犯すでしょうし、犯罪を犯した事実により社会から隔離することが対策です。しかし、犯罪を犯す前に何とかしたい。
 貧困者の貧困に陥った理由を明らかにして、ひいては犯罪の防止ができないものでしょうか。生命科学はゲノム(遺伝的な素因)や脳機能を詳細に調べる技術をもたらしました。理由の一つが脳機能にあるならば、その技術を犯罪の防止に応用できるはずです。
 しかし、新たな技術は新たな差別を生む可能性が大です。具体的にいえば、ゲノム遺伝子が解析されて問題遺伝子が同定された場合、アウシュビッツ送りになるというわけです。そこまで極端にしなくても、カウンセリングなどで本人に事実を教え、健康診断のように注意を喚起する程度でいかが?


平成21年3月14日 -73/4-
 自由とは何か。本当に何をしても良い社会状況になると、人間は他人を押しのけてセックスと暴力へ走る(ミノタウロス 佐藤亜紀著 講談社)。現代でもタブーに挑戦というと、セックスと暴力ではないでしょうか。かつての社会では生きるための糧を得るために時間のほとんどを費やしていました。それに比べれば現代は一般の人でも自由に使える時間が多くなりました。その自由に使える時間を何に使う?さまざまな趣味は単に時間の浪費のように思えます。
   厚生労働省の長期計画をみていると、国家が人々の時間を管理して、人々の潜在能力を最大限に引き出そうとしている=それが幸せなのだ、と規定する権力の意志が見て取れます。人間の誕生や死亡や健康水準を管理し、生物学の知識を援用しながらそのパフォーマンスを最大限に配慮するといった厚生政策。現代社会で生まれた自由にできる時間は余暇として浪費したほうが幸せだよ。そうでないと「一般の人」はセックスと暴力に走ってしまう。


平成21年3月21日 -74/4-
 人と話をしているとき、3つの相に分けて考えることが多くなってきました。話し手である私(解析を行う者)と、話している相手(解析する対象)と、2人の会話の背景にある社会の風潮や哲学。私が相手の発言を批判的にとらえる私の思想的な背景はなにか。相手はどのような思想的な背景で発言しているか。
 思想的な背景というと大げさですが、解析する対象の相についていえば、俗にいう、「なにかあったな」でしょうか。困るのは、以前は、結構、無条件で応答していたのですが、最近では相を推察するのに心を奪われてしまって、時々、会話が頓珍漢になってしまうことです。本当は昔から私はそうだったのかもしれませんが(変わり者? ズレている?)。
 3つの相を意識して物事を考えると、ちょっと深く理解した気になります。事件を起こした人、被害にあった人。そしてそれぞれの人の立場から、事件を誘引したであろう世間の動きを考える。問題児がいて、先生がいる。その解決に行政が乗り出すと、問題児は隔離し、先生は管理する。一時雇用の人、一時雇用を抱えて儲けた企業。その企業で安穏とする正社員を勝ち組とする社会風潮。


平成21年3月28日 -75/4-
 WBCは燃えましたね。韓国との5戦は語り草になるのではないでしょうか。日本人には愛国心がないと嘆く向きもありますが、試合に熱狂する人々を見ると愛国心にあふれていると感じます。生まれ変われるとしたら、どの国に生まれ変わりたいという問いがあれば、おそらく日本人は100%近くが、日本人に生まれたいと答えるでしょう。私もやはり日本がいい。
 太平洋戦争ではアジアの解放を謳った日本軍が各国で侵略行為をしました。明治以来、欧米先進国に対する劣等感を持った日本人(軍?)が、朝鮮と中国を軽蔑することによって不満を解消したその極端な面が出たと考えられます。この意識はまだ引きずられていて、日本人は、軽蔑しつづけてきた相手に敗北したことを率直に認めることができなかったのではないでしょうか。
 WBCでの熱戦では、韓国が優勝したとしても、おそらく日本人はそれほど鬱屈した感情を持たなかったでしょう。愛国者であるがゆえに、自国が根拠のない劣等感、優越感を持つこと、それに基づいた間違った振る舞いを他国にする事を許せない。東アジアが豊かになり、いろいろな局面で対等になれば、自然と対立も解消すると思います。


平成21年4月11日 -76/4-
 研究システムをより有機的に組上げるために新たな目標を定めて指令を出しています。今までのシステムとの違い、なぜそうしなければいけないのか、自分たちのグループの関係はどうなるのか。毎日が若い人たちとの議論と説得の日々です。
 人と人とが、理性的に対話をすれば、相互に理解できるとよくいわれます。しかし、いくら対話を重ねても相互理解に達しないこともあります。話し合えば必ずわかってもらえるという思考は単なる理性信仰です。
 相手が話し合いに乗ってこないのに、話合い至上主義を盾に、話し合うべきだと主張するのは一種の暴力に等しい。理屈の嫌いな人は多く、話合い至上主義は理屈っぽい人に有利です。
 時には強引さを前面に出す。また、正しいと思う考えを掲げて、灯りをともし続け、待つ姿勢も大事です。信念(悟り?)を持って行動すれば、そしてその考えが正しければ、周りに浸透していきます。


平成21年4月18日 -77/4-
 新学期です。大人たちでいっぱいの通勤電車の中に小学生も混じって健気に通学しています。新入生でしょうか、お母さんに手をひかれながら電車を待っている子供もいます。お父さんと一緒の子もいて、時代が変わったなと思いました。
 座席に腰かけて、ひとりで本を読んでいた女の子が電車を乗り越してしまいました。同じような帽子をかぶった子が下りてしまったので、心配したのですが、周りの大人は声をかけませんでした。彼女は乗り過ごしたことに気づくと、立ち上がり、ドアの上の行先表示(ディスプレイ)を確認しに行きました。泣き出してしまったようです。近くにいた女性が声をかけ、次の駅で一緒に降りて行きました。ひと駅ですから、きっと始業時間には間に合ったことでしょう。女性の方は始業に間に合ったでしょうか。
 森羅万象の系譜は今回で終わりです。次回は参考資料です。


平成21年4月25日 -78/4-
 さて、生体防衛論も森羅万象の系譜に合わせて終了し、第4版も最後になりました。森羅万象の系譜は、できる限り長く続けようと思っていますので、2週間の休みのあと、また、5月16日から第5版をスタートします。次は生体防衛論を手直ししながら、百家万説をちょろっと加えて発行しようと思います。
 年をとってくると、執着する対象が物体から記憶へ変わるようです。メルマガのように、簡便にかつ繰り返し、記憶を掘り起こしかつ記録しておく仕組みができたのは嬉しいことです。
 ところで、生きていく方向として、高みを目指す人と深みへ向かう人がいます。科学者は深みを旨とする者でしょう。手広く知識を集めますが、その総体として深いところを探ることができればと思います。


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