
1.天下無敵
2.外敵と、内なる外敵と、内なる敵
3.光を利用して外敵を見張る
4.目の起源
5.視覚情報と認識
6.耳は休まない
7.匂いと臭い
8.痛み、熱さ冷たさのセンサー
9.擬態による防衛
10.鎧をまとう防衛策
11. 防衛指令本部
12.異常分子を見張る細胞
13.口での防衛線
14.胃は菌にとっての狭き門
15.腸内細菌の役割
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防衛で最高の技術といえば天下無敵です。天下無敵は誰よりも強いというイメージがあります。しかし、素直に文字を解釈すると、天下に敵はいないとも読めます。自分には敵というものがいない、つまり、私と出会うすべての人と私は敵対する必要がない。しかし、悪意を持って近づいてくる人もいますし、企みをもって他人を利用する人もいるでしょう。価値観の異なる人たちとも敵対することなく、適度な距離を保つことができるでしょうか。他人を尊重し、敵意を抱かせない知恵を持つ人が天下無敵なのでしょう。
+++ 弱肉強食は自然界のおきてではなく、人間の解釈である +++
カンブリア紀は巨大な生物が登場しましたが、同時に弱肉強食の時代のスタートでもありました。食物連鎖が複雑化し、生態系が変化しました。動物を食べる大きな動物(捕食者)の登場です。それに従い、センサー群も進化することになりました。また、たくさんの生痕化石(運動した痕跡。這い回ったあとや足跡など)も残されています。静かだった海の中が賑やかになりました。
動物界において弱肉強食は、例えば、ライオンがシマウマを食べるといった現象を示します。しかし、専門家は弱肉強食という言葉は使わず、「食う-食われる」の食物関係と言います。シマウマも草原の草を食っているからです。この関係は食物連鎖と呼ばれます。ライオンを駆除するとシマウマが増えすぎ、シマウマは草を食い尽くして、最終的には減ってしまう。シマウマは全部食われると困るが、全く食われなくても困る。食物関係は両者の共存のために必要な関係です。そのほかに雌を巡る同種雄の競争、なわばりを巡る同種個体間競争があります。
弱肉強食は、本来、動物の世界の現象を表す言葉ですが、人間社会では競争の結果として勝者と敗者が生ずる現象に対して比喩として使われています。
+++ 食物連鎖網はスモールワールド構造である +++
食物連鎖は食う食われるのつながりであるリンクから成り立っています。豊かな生態の食物連鎖は弱いリンクが大量に存在し、生態系を環境変化に対して強くしています。言い換えれば、単一の食物しかない種より、多くの食べ物がある種の方がより生き残りやすい。さらに、種の絶滅は弱いリンクを減らし、リンクの総数を減らします。食べるものにとっては食べる種が少なくなるために、そのほかの種を食物とする依存度が高くなります。残されたリンクがより強固になるため、生態系の弾力性を失わせます。
食物連鎖網はスモールワールド構造をしており、莫大な数の種が含まれますが、任意の2つ個生物種をつなぐリンク数は極めて少ない。したがって、一つの種の絶滅は食物連鎖網全体に速やかに影響を与える性質を持ちます。
+++ ネットワークの中の生物は共進化する +++
共進化という言葉があります。食う側が進化すれば、食われる側もこれに対応して進化し、逆に、食われる側が進化すれば、食う側もこれに対応して進化する。競争関係について言うときは「軍拡競争」とも呼ばれます。食べられる側の戦略は防衛戦略です。
2つの動物種が競争するという考えだけでは、生物界の多様性を説明できません。同時に、生物種は単独で存在するわけではなく、また、2種間の関係においてのみ生きるわけでもありません。多様性を生み、多様な生物が共存することを説明する考えが必要です。競争関係ではない第3、第4の種が進化に便乗していること。多くの種との複雑な関係の中で生き、その関係を前提として進化すること。関係する2種だけが共進化するだけでなく、生態系全体が相互の関係の中で共進化するのだとも言えます。2つの種の競争をクローズアップした(多くの関係の中から抽出した)のは科学の見方です。
こんな風に考えると共生のイメージが広がって、地球共生系は全体として共進化してきたと総括できます。もし、餌を食い尽くすような進化が生じたとすれば、その種はかえって自らを滅ぼします。突然変異や社会環境の変化から生まれた病原性の強い感染微生物も、やがて、感染する宿主に優しく、独力の弱い微生物に置き換わっていきます。生態系の他種との複雑な関係を破壊する種は、進化してきたこと、これから生き残ることは許されないでしょう。
○生物にとっての天下無敵は共存する多様な種と多様な関係を築くことです。食べる-食べられる関係以外にも、排泄物を処理してくれる、いち早く外敵を見つけてくれる、毒をもって捕食者から逃れる、毒をもっている生物と外観を酷似させて捕食者から逃れる、寄生する-寄生される、寄生者に消化不能な植物を消化させて、その結果、必須栄養分を得る(腸内細菌)などの関係が知られています。
○このメルマガでは特に感染症を中心にすえて、そんな複雑な関係を分子レベルで解説しようと考えました。分子の世界は一般の方にはなじみがないと思いますが、分子の世界にこそ、メカニックな合理性があります。しかも、生物の洗練された生存戦略として解明されてきています。そういった最近の成果や考え方をお伝えできれば筆者の本望です。
○食べる-食べられる関係を見ると、敵は体の外にいます(外敵)。外敵に対して防衛するためにはいくつかの手段が考えられます。敵に見つからないようにする。敵を監視する。敵に襲われたら逃げる。敵に襲われてもすぐにはやられないように、硬い甲羅や外皮で身を守る。敵に襲われたら物理的な力(蹴ったり角で突く)や化学的な手段(強力な臭いを発する、毒を利用する)で敵を無力化する。
○食べる-食べられる関係が成り立っているわけですから、一般的には敵のほうがこちらの防衛力より様々な能力で上でしょう。ねずみに対する猫や、昆虫に対する鳥を思い浮かべると、圧倒的な力や能力の差があることは自明です。
○しかし、感染微生物を考えると、この自然界の掟が通用しません。感染微生物は体の中に侵入して、体の成分を栄養分として育ちます。例えると、内なる外敵です。内なる外敵に対抗するには化学的な手段で敵を無力化するしかありません。内なる外敵が発見されたのは人類の歴史を考えるとつい最近のことです。
+++ 微生物を研究するためには純培養が必要である +++
コッホは、ゼラチンを用いる固型培地による細菌の分離・純培養法を発明しました。現在では寒天培地になっていますが、この方法は細菌の純培養をするための基本です。菌を含んだサンプルを十分に希釈して寒天培地の上に塗ると、菌は1個から増殖し、目に見える塊(コロニー)を作ります。コロニーは1種類の菌の純粋な集合体です。この技術を基に、コッホは感染症の病原体を決定するときの3条件を提唱しました。
これ以降、個性ある病原菌を培養するための、それぞれの菌に適した培養液が考案・開発されました。菌は栄養分を含んだ培養液で増えますが、ウイルスは細胞が無いと増えません。ウイルスの分離は動物細胞をシャーレの中で増やす技術が完成するまで困難でした。動物の細胞も十分な栄養分と増殖因子を含んだ培養液で菌のように増やすことができます。
ウイルスや細菌が純培養されるようになると病原菌としての証明もできます。20世紀には人類を悩ませた多くの感染症の病原体が同定され、ワクチンや治療薬が開発されました。
○さて、最後は内なる敵です。言い換えると、裏切り者です。人間以外の動物の場合はそれほど例がありませんが、人間では内なる裏切り者、癌細胞は深刻な問題です。癌細胞から身を守るには、内なる外敵と戦う仕組みが応用されることになりました。しかし、なんてったって身内ですから、摘発が難しいのです。
+++ がんは遺伝しない遺伝子病である +++
がん細胞は種々の原因で遺伝子が変化して、体のあちこちに出現します。がん細胞は免疫細胞が感知し、除去します。しかし、運のいいがん細胞は増殖し、遺伝子の変異を繰り返し、転移し、やがては免疫システムに対抗する能力を獲得します。最終的には個体のホメオスタシスを破壊し、個体を死に至らしめます。
どのような遺伝子の、どのような変異ががん細胞を作り出すのでしょうか。がん細胞の全ゲノムを調べて正常細胞と比較し、突然変異を見つける研究が進行中です。大腸がんと乳がんの13,023個の遺伝子を対象に、どの遺伝子が変異しているかを調べた結果、189個の遺伝子に236個の突然変異が見つかりました。ひとつの癌あたり、平均すると9-12個の遺伝子の変異があることになります。一般的に、癌が進行するためには複数の遺伝子の変異が積み重なる必要があるとされていますが、これほどたくさんの遺伝子の変異が関与するとは考えられていませんでした。今後は多くの遺伝子の変異が癌に関係するという前提で、診断や治療がなされていくはずです。
○外敵に対抗するための防衛手段、そして、内なる外敵、内なる敵に対抗するための防衛手段という順序で以後、話題を整理していきたいと思います。外敵に対しては発見するための感覚器官や防御方法ですが、これは身近で理解しやすいと思います。内なる外敵や敵に対抗する手段は免疫システムが中心となりますが、これは細胞と分子の話ですので、あまり身近に感じられないでしょう。しかし、無意識に、今でもあなたの体の免疫システムは休みなく活躍しているのです。
○外敵に対する生体防衛術は身近でわかりやすいので、これから約10回にわたって感覚器による生体防衛について紹介しましょう。今回から3回ほどは視覚です。
○地球には大気があるので、日光は上空で散乱され、光る青い天蓋で覆われます。そのために漆黒の影ができず、岩の陰も森の中も適度な明るさがあります。光は上下左右前後からやってきて、周りの状況を伝えます。光は直進しますから、敵がどの方向にいるかを知る強力な検知器となります。人間に限らず、多くの動物、特に、陸上の動物は目を発達させました。
+++ 電磁波 +++
光は電磁波です。電場と磁場が合成されたものを電磁場と呼びます。銅線内を電子が振動すると電磁場が銅線の周りに発生します。電磁場は振動しながら空間を伝わります。これを電波と呼びます。真空中なら光速度で伝わります。電波は波長の長い電磁波です。波長が短くなると、別の名前で呼ばれます。
マイクロ波や、遠赤外線、赤外線では分子が電磁場の中でエネルギーを得て振動、回転し、一般に温度が上昇します。また、分子の運動の変化により赤外線などの電磁波を発生します。 可視光線や紫外線の場合は、電磁波のエネルギーは分子や原子内の電子に伝えられ、電子は活性化状態(励起状態)になります。電子が元のエネルギー状態に戻るときに、相応のエネルギーの電磁波、赤外線や可視光線を発生します。
さらに高エネルギーの電磁波はX線、γ線です。高速の電子が重金属にぶつかって急に減速するときにX線が、原子核のエネルギー変動によりγ線が発生します。この2つの電磁波の波長は同じくらいですが、X線は人工的に発生した電磁波を、γ線は原子核から発生したものを言います。X線やγ線は分子の電子を吹き飛ばし、化学反応を引き起こします。生体にとっては有害なラジカルを作り出し、ラジカルは近くにある分子と化学反応して分子の性質を変えます。
このうち、生物が視覚として使うのは可視光線です。
○電磁波はさまざまな波長領域を持っていて、人類は様々な領域を利用しています。その中で、動物の目では、なぜ可視光線という狭い範囲が選ばれたのでしょうか。答えは生物が分子機械であることにあります。
+++ 可視光線のアンテナは共役二重結合である +++
色として感じられる電磁波は波長 380〜780 nmです。可視光線を吸収する物質には、比較的長い共役二重結合をもつ有機化合物や、金属錯体があります。共役二重結合は二重結合が1つおきにつながったもので、π電子の重なりが長い電子雲を作り出します。花の色素や化学合成染料は、一般に長い共役二重結合を持ちます。動物の目では、共役二重結合が5つつながった構造をもつ、ビタミンAの誘導体であるレチナールが、光を捉える役目をします。
目の網膜に光を感じる細胞があります。錐体細胞と桿体細胞です。細胞はオプシンと呼ばれるタンパク質を持ち、オプシンレチナールという色素分子を利用して光を吸収し、それを神経の信号に変換します。色を感知する細胞は錐体細胞です。人間は3種類のオプシンにより、赤、緑、青の3色を認識します。そのほかに、桿体細胞があり、オプシンと似た分子であるロドプシンを持ち、オプシンでは認識できないほどの暗い中での弱い光に反応します。
オプシンは7回膜貫通型のタンパク質で、細胞膜に存在しています。レチナールが光を受けると、オプシンタンパク質は構造を変えて、隣のGTP結合タンパク質(Gタンパク質)を活性化させます。Gタンパク質は光を受けた信号を細胞内に化学反応として伝えます。最終的にイオンチャンネルを活性化して、双極細胞を介して、視神経に信号を受け渡します。
○光は生物にとってどのくらい昔から利用されてきたのでしょうか。
+++ 深海の光のショー(Nature Digest, 5, No.2, pp18-21, 2008) +++
波長の長い赤色光は、海の最上層ですぐに吸収されて消えてしまいます。そのため、深海の生き物の大部分は赤い色を見ることがないと考えられます。水深500メートルでは人間の眼では太陽光を感じることができなくなります。しかし、適応した動物たちは、この光量以下でも光を感じ取れるようです。水深1000 メートルに達すると太陽光はまったく届かなくなります。深海には全く光がないのでしょうか。
深海の動物たちは意外と光を放ち、また、光を検出して利用しています。200 メートルくらいまで潜ると渦鞭毛藻類が放つ生物発光の小さな光がみられます。エビやクラゲが光を放っています。深海底の動物は大型化した高感度の眼をもっていて生物の発する光を見ているようです。実際、クラゲに似た発光パターンで動かすと、わずか1 分余りで、体長2 メートルのイカが現れると報告されています。
動物は光を使って同種の個体や別種の動物を引き寄せたり見つけ出すようです。例えば、たくさんの魚やイカが生物発光をサーチライトのように使っています。また、性別に特異的な生物発光パターンを使って配偶相手を引き寄せるものもいます。
一部の動物は、自分が食べられたときに捕食者の消化管をライトアップして、その捕食者の捕食者に居場所を知らせることができるらしい。つまり、自分を食べるとあなたも食べられますよと警告を発しています。生物の死骸の一部や糞の塊に乗った光る細菌は、魚に食べてもらう確率が高まり、魚の消化管内へ入り込みます。光は深海生物の生体防衛に大きく関わっています。
+++ 目のマスター制御遺伝子はPax-6である +++
ホメオボックス遺伝子は形作りの遺伝子です。目をつくる遺伝子 Pax-6は、ショウジョウバエのホメオボックス遺伝子の研究から見つかりました。ホメオボックス遺伝子はショウジョウバエも脊椎動物も共通に持っています。マウスや人間のPax-6遺伝子も、目の形成に関係しています。マウスのPax-6突然変異体はスモールアイと呼ばれ、目が小さくなる異常が起こります。実験的にハエのPax-6遺伝子をハエの体のいろいろな場所で作動させると、体中のさまざまな場所に目ができました。さらに、マウスのPax-6遺伝子をハエの体で作動させると過剰な複眼が形成されました。
Pax-6遺伝子は目をつくるための最初の指令を出す遺伝子です。そのような遺伝子のことを専門用語でマスター制御遺伝子と呼びます。具体的には、Pax-6遺伝子が作動すると目をつくるための多数の遺伝子が整然と働きだし、目を作ります。動物の目は、複眼であろうと、タコやイカのようにピンホールであろうと、一見異なった構造をしていますが、その形作りは Pax-6遺伝子が最初の引き金を引きます。Pax-6遺伝子をもつと判っている最も原始的な生物はプラナリアです。動物の目は進化の途上でただ一度だけ登場し、それが様々な仕組みを持つようになりました。
+++ 哺乳類は色覚異常である +++
魚類や鳥類は4種類のオプシンを利用する4色型色覚(赤、緑、青、紫外線)を持ちますが、哺乳類は2色失い、2色型色覚に退化しました。長い恐竜時代に夜行性か洞窟や穴などの光の弱いところを住処としたためにオプシンを失ったのでしょうか。
哺乳類の中で、霊長類は1色を復活させて3色型となりました。樹上生活で微妙な色合いを感知する必要があったのでしょう。霊長類である人間も3色型です。ただし、本来の4色型の緑、赤オプシンの組に比べ、復活型緑、赤オプシンは活性化領域も近く、識別範囲の重なりが大きい。オプシンが反応できない波長は色として識別することができません。
色工学では色空間を定め、3色の色によりすべての識別できる色を配置しています。人間の色空間の形はオプシンの波長特異性と関連して、正多角形ではありません。オプシンの波長特性が十分分離した目ではどのような世界が見えるのでしょうか。
○生物のあらゆる活動はタンパク質が主役です。タンパク質は炭素を中心とした高分子ですので、電磁波との効果的なエネルギーの授受は共役二重結合が主役です。様々な色素分子、血液や葉緑素のヘム構造、視物質であるレチナールはその代表例です。使える波長は紫外線領域から近赤外線まで。単純な生物では光の来る方向を知るだけの目のようです。見張りの目は動く物体を鋭敏に検出し、警戒態勢をとります。獲物を見つける目は獲物までの距離や移動するスピードを見積もり、自身の襲撃スピードを勘案してチャンスを窺います。
○哺乳類は紫外線領域を認識するオプシンを失ってしまいました。しかし、視覚情報を集める網膜、情報処理を担当する中枢神経は十分に高度です。霊長類の視覚の特徴は立体視と、網膜中央部での解像度の高さにあります。おそらくは原猿類も原始的ではあってもこの能力を持つことから、正確な枝渡りを必要とする樹上生活への適応と考えられます。人類は精密な空間認識のできる視覚能力を十二分に発揮して文明を築きました。
○視覚の問題は外界認識の問題でもあり、とても複雑です。敵や危険という概念も視覚や他の感覚を通じて総合的に理解されるようです。人類も敵の存在を知るために見張りや斥候、スパイという情報収集係を動員してきました。それらの人物から寄せられる情報をどのように解釈するかで防衛力の優劣が決まります。
電子機器の時代になり、レーダーを駆使して敵を発見し、攻撃するようになりました。また、グーグルアースのような偵察衛星で地球上の軍事施設を監視できます。とはいうものの、頼るべきは情報の解釈。敵とは、危険とは何か。それが防衛力の優劣を決めるでしょう。
+++ 見るということは能動的に世界を構築すること +++ かつては,世界のイメージは写真のように網膜に焼き付けられ、脳の視覚領野がそれを解釈すると一般に信じられていました。 最近の研究では、脳は大量の情報から事物の重要な性質だけを抽出することが解っています。見るべきものだけを見ており、不要なものは捨てます。単に受動的に観察するのではなく、能動的に世界を構築しています。
脳は視覚像を分解して機能的に異なるいくつかの領域で受容します。具体的には色、形、顔や表情などの属性を、それぞれの領域の特定のニューロンで処理します。すなわち、視覚中枢には知覚するすべての属性専門の部位に分かれていて、特殊化したニューロンがあるという仮説です。
視覚情報のうち、形態情報は下側頭連合野、空間情報は後部頭頂連合野、手の逐次的な運動情報を好む補足運動野、リーチングに係る背側運動前野で担当されます。ついでに、記憶や感情を処理する脳領域として、扁桃体、海馬、梨状皮質、嗅内皮質。前頭連合野は、各モジュールで処理された情報処理の終点でもあり、また、基点でもあります。
+++ 境界を認識するニューロン(Nature Digest 6, p26 (2009)) +++
自分の周囲の環境空間にある境界(壁、崖)を見つけて、頭の中の地図を作製するのを助けるニューロンがラットで発見されました。これらのニューロンは「境界細胞(border cell)」とよばれ、空間を認識するのを助けます。主に、進路を見つけ出すのに役立つニューロンですが、4 番目に見つかりました。「進路を見つける」とは妙に具体的な表現ですが、このニューロンを測定する実験で、ラットに進路を見つける課題を課したためでしょう。
空間を認識し、進路を見つけ出すにはどんなニューロンが必要だと考えられるでしょうか。既に見つかっているほかの3 種類は、1 つ目が、決まった位置を通り抜けるときに発火、つまり興奮する「場所細胞」です。つまり、記憶(地図)に照らし合わせて、自分が今いる場所を示します。2 つ目が「方向細胞」で、これは顔が特定の方向を向いているときに発火し、コンパスの役目をします。3つ目の「グリッド細胞」は、環境空間に重ね合わせて六方格子状に配置されるようで、学習によって作られます。自分がその格子の頂点に移動するとその頂点に対応する細胞が発火して空間上の位置を知らせます。
これらの細胞はいずれも嗅内皮質とよばれ、海馬への情報入力を行う部位にあります。
+++ 脳はニューロンの神経伝達のタイムラグを矛盾なく処理する +++
例として、色と動きの変化を処理することを考えましょう。動きでは空間の異なる2点を次々に見ますが、色の場合には、違う2点における波長成分を同時に見ます。脳ではそれぞれの動きに対して異なった部位のニューロンが反応します。そして、色の変化は動きの変化より常に80msecほど早く意識されます。しかし、動く物体の色の変化は問題なく認識されます。
皮膚を刺激したとき、刺激部位から脳の神経細胞までは距離があるために、見た情報と感じた情報にずれがあるはずです。しかし、実際にはほとんど後れなしに刺激に気づいたと感じます。
自由意志で手を動かすとき、まず手を動かすための神経回路の興奮があります。その後0.35秒送れて手を動かそうとする意図が検出され、さらに0.2秒遅れて手が動きます。無意識の行動があってから意図が意識されるのには驚きです。ということは、意図が発生したことを無意識の行動よりも前に感じた仕組みになっているのです。
+++ 世界の解釈はニューロンの状態に依存する +++
2つの物体が違っていると言えるのは、脳の違うニューロンが反応するか、同じニューロンが反応しても時間差があるからです。同じニューロンが同じ時間で働くと2つの物体であっても違いを理解できません。脳での時間とはニューロン群の間の伝導速度の違いであり、現実の事象の発生の時間の違いではありません。現実世界での時間の違いを理解するのは時間変化を担当するニューロンの働きです。
視覚は比較によって成り立ちます。像の変化から網膜の一群の視細胞の興奮の変化に対応したニューロンの興奮がセットで起こり、一群のニューロンの興奮が次のニューロンの興奮につながる。すなわち、視覚情報は階層的に分析されます。階層性の各段階で物事を自動的にカテゴリー化していきます。脳の階層性の高いところに障害が起こると、患者はより低いレベルでの分析に基づくカテゴリー化しかできなくなります。
網膜の像の変化を感じるニューロンの数と種類はいくつあるのか、不明です。その次の処理を行うニューロンの種類も不明です。すべてをリスト化したときに、知覚され得る視覚情報のすべて(森羅万象)と、情報処理によってもたらされる概念のすべて(百家万説)が明らかにされるのかもしれません。少なくとも、その数は有限です。ニューロン(脳神経細胞)の数を超えません。
○見ることは知ること。百聞は一見にしかず。視覚の話を掘り下げていくとどうしても認識、脳の仕組みになってしまいます。敵の認識については後でまとめましょう。
視覚が有効なのは可視光線が届く範囲だけです。空気中では可視光線が届く距離はかなり長い。冬の晴れた日、富士山は遠い町からも見えます。しかし、水の中は残念ながらそれほど長くありません。また、空気中、水中とも微粒子が漂っていると視界が遮られます。水中では微粒子が多く、また、深度200 mほどで光が届かなくなります。視覚より聴覚が周りの様子を知るのに有効です。
+++ 耳は脊椎動物が持つ +++
音を情報として捉えることができる動物は脊椎動物です。そのほか、性行動として鳴く昆虫類も耳を持っています。哺乳類は外耳が発達していて、高感度の耳を持っています。鳥類は耳介はありませんが、外耳道があります。両生類や爬虫類は鼓膜が露出した形です。魚類は側線器官で音を聞きます。側線は魚の体表面の中央よりやや上側を、鰓から尾に向かって穴が開いた鱗が連続して走る線です。側線の鱗には穴が開いており、水中で音波が伝わる際に発生する圧力変化を感覚受容体細胞が感じ取ります。
鼓膜は音波による空気の運動を捕らえ、小さな骨によって内耳器官へ振動を伝えます。内耳器官に満たされたリンパ液を伝わった音は聴覚受容体細胞である有毛細胞に捕らえられます。脊椎動物の内耳にある有毛細胞は、音波や頭の動きによって生じる機械的刺激を神経パルスに変換する機能を持ちます。
音はリンパ液を振動させ、有毛細胞の表面を叩きます。内耳には耳石を包む器官があります。耳石は運動や体の傾きにより動き、機械的刺激を作り出します。つまり、有毛細胞の表面を押します。また、リンパ液が満たされたリング状の器官があり、体の回転によってリンパ液の流れが生じ、流れは有毛細胞に検出されます。つまり、流れが有毛細胞の表面をなでます。
有毛細胞は平面状に並ぶ支持細胞の膜の中に埋め込まれています。有毛細胞のリンパ液側には先端突起の束が整然と配置されていて、音やリンパ液の運動によって屈曲します。先端突起は微細な繊維によってつながっていて、繊維はイオンチャンネルに繋がっています。先端突起が曲がると繊維が引っ張られ、機械刺激感受性イオンチャネルを機械的に開閉すると考えられています。
以上、まとめると、機械的刺激は有毛細胞の先端突起を揺らし、そこの機械刺激感受性イオンチャネルを開閉し、細胞膜を介したイオンの流れ、すなわち、神経パルスに変換されます。
現在、この繊維や繊維をアンカーする分子などの解明が進行中です。先端をつなぐ繊維を構成するタンパク質のひとつはカドヘリン23です。この遺伝子の変異はマウスと人でも聴覚消失と前庭機能(平衡感覚)異常を引き起こします。
+++ 音で外界を知る +++
音を利用して外の様子を知る装置をソナーと言います。大気中では電波を利用したレーダーが使われますが、電波が伝わらない水の中ではソナーを使います。潜水艦や魚群探知機に搭載されています。ソナーを利用した医療機器は超音波診断装置です。最近は高性能になり、手軽にかつ安全に、リアルタイムで断層像を観察することが可能です。
ソナーには音を出して、その反射波を検出するアクティブ・ソナーと周りの音だけを拾うパッシブ・ソナーがあります。軍事的にはアクティブ・ソナーは自身の位置も敵に教えてしまうため、パッシブ・ソナーが使われるそうです。パッシブ・ソナーもマイクを離れたところに複数個設置することで、音のやってくる方向が解析できます。
生物が使うアクティブ・ソナーで有名なのはコウモリやイルカです。コウモリは飛行中、口から超音波を出し、反射波を耳で聞き取りながら障害物を避け、エサを見つけ出しています。コウモリはこの能力で闇を飛ぶことができます。逆に、コウモリを探すには超音波を受信すると早い。通常の動物の持つ耳は言うまでもなく、パッシブ・ソナーです。
+++ 目が見えない人は障害物知覚を発達させる +++
盲学校の生徒たちは、物体の有無による音場の微妙な変化を聴覚で聞き分けるという、目の見える私たちからみると、超能力に匹敵する能力を持っているそうです。蝙蝠やイルカがソナーを使った外界の認識を行います。人間でこの能力が獲得可能なのは脳の可塑性にあるようです。長い間の学習や訓練により、脳の機能が変化し、失われた視覚の機能を聴覚で補う、代償機能です。
視覚は睡眠ともに機能を停止するに対し、聴覚は睡眠中もセンサーとして機能します。周りの変化を音により検知し、睡眠状態から覚醒状態に移行させるためのスイッチです。もちろん覚醒中も、聴覚は注意を引くのに有効です。視覚以外の感覚に比べると、音は多様で情報を盛り込むことができ、即効性も高い。左右の耳に音が届くわずかな時間差を認識し、上下左右前後、音源がどの方向から来るのかを知ることができます。
+++ 聴覚神経は音なしで脳とつながる +++
内耳から出発した聴覚神経は側頭葉にある聴覚野へ達します。聴覚野は3つのパートに分けられていて、真ん中が一次聴覚野。音の高低を感じるニューロンが配置されています。その周りにメロディやリズムを理解する二次聴覚野があり、その周りには音を体験として総合的に理解する三次聴覚野があると考えられています。
胎児のときに聴覚神経は脳へ伸びて接続されます。そのときは当然無音です。ところが、音の刺激なしに神経インパルスが発生することが示されました。この刺激は聴覚神経の成熟を促すと考えられます。音の認識自体は後天的(人間の場合は一部、胎児の内に)に成長すると考えられますが、基本的な配線は発生の途上で、音とは無関係に作られるようです。
光と音は物理的な感覚刺激の代表例です。それに対して、匂いと味は化学的な感覚刺激の代表です。われわれの周りにはたくさんの化学物質、分子があります。われわれの体も化学物質でできていて、生命活動に応じて様々な化学物質を放出しています。人間に限らず、バクテリアからクジラまで、ラン藻から縄文杉まで、化学物質で成り立ち、化学物質を放出しています。ある生物に特有な化学物質があれば、その化学物質を検出することで、その生物の活動を知ることができます。生物は化学物質を検出するための受容体(センサー、レセプター)をたくさん持っています。
+++ 味覚と嗅覚は分子を検出する +++
少し高度な多細胞生物では分子を感じるためのセンサーを細胞の表面にもち、周りに信号を送る細胞、神経・感覚器細胞があります。五感のうちの味覚と嗅覚は分子センサーです。
嗅覚は遠くにある食物や危険物から発散される化学物質を感知する感覚で、一方、味覚は口に入れた食物候補を飲み込むかどうかを判断するための感覚と区別できるでしょう。
味覚は液体中の分子やイオンを検出します。したがって、検出する分子は水に溶ける分子です。人間の舌には味蕾と言う味覚細胞が寄り集まった器官があります。蝶は前足の先に味覚細胞があります。魚の味蕾は口の中だけでなく、ひげや鰭(ひれ)や体表、食道などにも分布しているそうです。
嗅覚は空気中の分子を検出します。したがって、検出する分子は揮発性の分子です。魚の場合は水中で生活します。魚も鼻があり、そこで検出される分子は臭いです。鼻は口とは独立しています。魚の場合は味覚と嗅覚の違いを厳密に区別するのは難しいでしょう。
+++ 化学物質を感知するレセプターは7回膜貫通型受容体ファミリー +++
嗅覚も味覚も化学物質を感知する受容体タンパク質(レセプター)は同じような構造です。7回膜貫通型受容体ファミリーとよばれます。細胞の表面、細胞膜に埋め込まれた形です。タンパク質は1本の長いアミノ酸の鎖ですから、細胞膜を縫うように出たり入ったりして、細胞の外側に臭いや味分子と結合する構造を作り出します。
臭いや味の分子と結合すると受容体タンパク質は分子と結合したことを細胞内の他のタンパク質に伝える仕組みがあります。情報伝達タンパク質です。
情報伝達タンパク質の代表例はGタンパク質です。G は核酸のGTPです。Gタンパク質はGTPと結合していて、GTP ⇔ GDPの変換がスイッチのオンオフに相当します。GTPはGDPにリン酸基が1つ結合した分子です。
レセプターとGタンパク質は外部からのさまざまな刺激(光、化学物質、ホルモン、フェロモンなど)を受けて細胞内のシグナル伝達物質を媒介して細胞内での種々の働きを引き起こします。
+++ 遺伝子数が最多の7回膜貫通型受容体ファミリー +++
細胞膜を7回貫通するという特殊構造をもつ受容体タンパク質は、真核生物ゲノムの1〜3%を占める最大の遺伝子ファミリーです。この遺伝子の起原は古く、真核生物が多細胞化して神経細胞を進化させた段階で急激に増えたようです。
嗅覚レセプターは味覚レセプターに比べて早く発見され、よく解析されています。嗅覚レセプターORシリーズはヒトでは388個、マウスでは1037個あり、それぞれ専用の神経細胞を通じて、決まった場所にシグナルを送ります。実は人も1000個の嗅覚レセプター遺伝子を持つのですが、人はこのうちの60%が壊れた遺伝子で活動していません。
味覚レセプターTシリーズはヒトでは29個、マウスでは38個あります。魚(フグなど)では嗅覚レセプターが40個なのに対し、味覚レセプターは 6-10個です。嗅覚レセプターの親戚にフェロモン受容体Vシリーズがあります。哺乳類は数百もありますが、ヒトでは数十しかありません。
+++ 嗅覚は根源的な生理機能と関連している +++
私たちは日々、様々な香りを感じて生活しています。視覚の発達した人間にとっても嗅覚は根源的な生理機能と関連しています。視覚の発達していない動物、昆虫や視覚を持っていない植物にとっては、より重要な役割をしています。たとえば、昆虫はフェロモンを体内から分泌することにより、道しるべフェロモン、警戒フェロモン、集合フェロモンなどのように、お互いのコミュニケーションを図るようです。植物も揮発性の化学物質(臭い)により他の植物の成長を阻害したり、昆虫を引き付けたり追い払ったりしています。
臭いの特徴は残存性でしょう。光や音のようなリアルタイムでの空間的な位置を知ることはほとんど不可能です。風上にいる捕食者の存在を嗅ぎわけるくらいです。ただ、臭い分子を発生するのは防衛に役に立ちます。また、仲間同士の連帯を高め、社会性昆虫に見られるように、集団で敵に立ち向かうシグナルとしても利用されます。
+++ 人間の行動を支配する匂い +++
人間にもこの手のフェロモンはあるでしょうか? 哺乳類のフェロモンは性フェロモンと個体識別フェロモンです。縄張りを主張したり、性行動、性成熟を誘導します。人間でもMHCとフェロモンの関係は有名です。
これまで哺乳類は匂いを嗅いだときにどのように反応するのかは学習するのだと考えられてきました。東京大学の坂野教授グループは、遺伝子操作の手法を応用することで、哺乳類の匂いに対する情動や行動を先天的に決める脳内の神経回路が存在することを証明しました。 いやな体臭は細菌の繁殖に起因することが多い。例えば、腋臭、口臭があります。すると、もてる人はいい匂いでしょうか。免疫力が強いと最近の繁殖が抑えられて、よい匂いになるかもしれません。
+++ 細菌もコミュニケーションする +++
バイオフィルムのような複雑な社会を作るにはコミュニケーション分子が必要です。細菌のコミュニケーションシステムをクオラム・センシングと呼びます。細菌には目も耳のないですから、コミュニケーションには水に溶ける分子が使われます。たとえば、細菌はシグナル分子(オートインデューサ、autoinducer)の量を測ることで、自分達の細胞密度を感知できます。 Autoinducerはビブリオ属細菌における菌数依存的な蛍光物質産生という現象から見つかりました。緑膿菌をはじめとする多くの病原細菌がクオラムセンシングを用いて病原因子の発現をコントロールしていますし、autoinducer分子が生体細胞に対しても多彩な影響を及ぼすことが報告され、菌側と生体側の両面から感染症の発症に関与することがわかってきました。
○環境の化学物質を検出する仕組みが臭覚と味覚。同じような体内環境の化学物質を検出する仕組みが体には備わっています。特に、体内にある体外由来の化学物質を検出する仕組みが免疫系です。生体防衛の中心は免疫系です。
嗅覚も味覚も化学物質を感知する受容体タンパク質は7回膜貫通型受容体ファミリーの一員でした。光を感知するオプシンも同じように7回膜貫通型受容体ファミリーの一員です。ここで、受容体について簡単にまとめをしておきましょう。受容体=レセプター、センサーで、いずれもタンパク質です。
+++ 細胞上の特定の分子を感知するタンパク質をレセプターと呼ぶ +++
物質は分子ですから、物質を感じるためのセンサーは細胞の表面上にあるタンパク質です。センサーとして働くタンパク質をレセプターと呼びます。レセプターが特定の物質と結合すると、構造が変化して、細胞内の仲介タンパク質と結合して分子の存在を細胞内に伝えます。仲介タンパク質は低分子やタンパク質を加工して伝令分子を作り、最終的には細胞の代謝機能や遺伝子の発現状態を変えます。
ホルモンや神経のインパルスの情報をレセプター分子が検出して(もしくはレセプター分子が反応して)、細胞はホルモンや消化酵素などを分泌したり、神経細胞に情報を伝えます。この場合、すでに準備された機能を発動します。
また、細胞内の「模様替え」をします。攻撃や防御体制を整える。細胞分裂する。細菌や菌なら胞子になる。はたまた、自ら死を選ぶこともあります(アポトーシス)。これらの活動のための遺伝子セットを発動します。
多細胞生物が受精卵から発生するとき、様々な細胞を作り出す細胞分化もこの延長上にあります。
+++ TRPセンサーは温度や刺激的な化学物質を感知する +++
味覚のうちで、「辛い」は実は「痛い」です。唐辛子の辛味成分はカプサイシンと呼ばれる分子ですが、カプサイシンの存在を感知するレセプターはTRPV1 イオンチャネルです。TRPシリーズの6回膜貫通型レセプタータンパク質は痛みと温度の感知に関係します。TRPV1遺伝子を破壊したマウスでの実験によって、TRPV1は生理的に必須な痛みセンサーであることが確認されています。TRPV1 を活性化する物質はカプサイシンのほかに43℃以上の熱、ショウガの成分であるジンゲロール、ナツメグやクローブの成分であるオイゲノールなどのバニロイド化合物(カプサイシンもこの仲間)、酸などでも活性化されます。
TRPA1イオンチャンネルは低温を感知し、ワサビの辛味成分(アリルイソチオシアネート)やシナモンの辛味成分(シナモアルデヒド)で活性化します。化学物質によるTRPA1イオンチャンネルの活性化は細胞内にあるシステイン残基にこれらの物質が共有結合して修飾するために起こります。TRPA1 の活性化は求電子性の有害物質や酸化ストレスに応じて起こるわけですから、組織が損傷したことを警告しています。低温センサーのTRPM8はメントールレセプターでした。
TRPシリーズのレセプタータンパク質について研究は現在進行中です。
+++ 皮膚には痛覚神経末端が配置されていて、危険を触知する +++
痛覚は組織の何らかの破壊を意味します。機械的に引き裂かれたり、熱や冷気、酸や化学物質などの刺激があります。皮膚にはこれらの刺激を感知するレセプターがあります。そのレセプターは神経末端に配置されています。皮膚で痛みを感じる感覚神経線維は主にAδ線維とC線維です。Aδ線維は有随神経(ミエリン鞘を持つ)で高い伝達速度を持ち、鋭い痛みを伝達します。C線維は無随神経で伝達速度が低く、鈍く持続性の痛みの伝達を担当します。感覚神経線維は脊髄後根神経節に入り、脊髄神経を通って大脳皮質感覚野まで伝達され、脳ではじめて痛みとして認識されます。 Aδ線維(伝達の速い神経)は無意識に手を引っ込めた入りする防御反射と連絡しています。触られる、毛がなでられるなどの弱い刺激はメルケル細胞、毛根部に神経端を持つAβ繊維によって伝達されます。
皮膚細胞であるケラチノサイトは刺激や細胞破壊に応じてATPや神経伝達物質(ニューロトロピン、βエンドルフィン)やインターロイキン、エンドセリン-1を放出します。それぞれの痛覚神経末端には痛みなどの刺激として変換する専門のレセプターがあります。TRPV1、TRPA1、TRPM8はいずれもC繊維や Aδ線維で機能しています。
痛覚は身体に対する直接の攻撃の検出に重要です。肉食動物、捕食動物に対しての防御感覚としては遅すぎるでしょうが、小さな動物、虫さされや植物のとげなど、他の生物からの防御や攻撃に対しては有効です。特に、無臭の化学物質に対しては痛覚による直接の組織破壊を検出する以外に感知する方法がありません。また、体内の様々な病気による変調や感染症による組織破壊を知るためには非常に重要です。レセプターの数も多く、様々な物質が警報物質として働きます。神経伝達と兼務している物質もあります。痛みシグナルが発生すれば、その体の部位を目で確認したり、痛みがなくなるまで休息をとったりして、痛みに対処することができます。
雑多な痛覚刺激があるわけですが、発生場所とセットで痛みとして脳で情報処理されます。痛みを発生する刺激は化学物質でした。どの刺激を痛みとして知覚するは、生れながらに備わったもので、学習するものではないでしょう。すなわち、遺伝的にプログラムされていると考えられます。
なかなか微生物の世界に行きませんが、もうすこし、生物の身近な防衛策にお付き合いください。最初の計画では、この小論では取り上げないつもりでしたが、生体防衛と銘打ったらやっぱり無視するわけにはいかないでしょう。簡単にまとめておきたいと思います。
+++ 目に見えなくする防衛策 +++
擬態は昆虫の防衛戦略としてよく知られています。木の枝や、葉っぱなどにそっくりな姿・形をした昆虫は小学生向けの図鑑に欠かせません。自然界の芸術品です。ただ、色の場合は人間の感じる色(3色)と、ねずみなどの哺乳類(2色)、鳥など(4色)では少し違うでしょう。
擬態には大別して2通りあります。1つは生活圏にたくさんある物のそっくりさんになって自分を見つけにくくする方法、もう1つは危険な虫などに化ける方法です。原っぱにいるバッタは緑色、川原にいるバッタは茶色など、色彩を似せる単純な方法もこの一種です。ハチは自分が毒を持っていることをアピールし、派手な色彩になっています。また、目玉模様を見せ、大きな動物が潜んでいるように見せる方法もあります。
捕食者も擬態を使います。単純に事物に似せて隠れる場合、光で引き寄せるアンコウ、臭いでハエを引き寄せる食虫植物など、枚挙にいとまがありません。お互いに、狐と狸の化かし合いというところでしょうか。
分子の世界でも「擬態」があります。デコイ(decoy、鴨猟のときに使う囮のこと)、ミミック(mimic、物まね、擬態)と呼ばれます。詳しくは微生物の世界で紹介します。
+++ 昆虫は極端な偏食である +++
アゲハチョウの幼虫はミカンの仲間の葉しか食べません。ところが、よく似たキアゲハはニンジンやセリの葉を食べ、ミカンには見向きもしません。カイコの幼虫はクワの葉だけです。植物を食べる昆虫の多くは、ごく限られた植物しか利用できません。
進化を考えて見ますと、最初は昆虫が植物を食べたでしょう。植物は色々な化学物質を体内にためて昆虫を寄せ付けなくしました。しかし、その化学物質も食べられるように進化した昆虫は、今度はその化学物質を目当てに食べにやってきます。昆虫に見られる極端な偏食は2億年に及ぶ食物関係の結果です。
特別な植物の利用や環境への適応といった昆虫の性質は、昆虫自身の性質、すなわち、昆虫の遺伝子に書き込まれた情報に基づいていると考えるのが常識的です。ところが、アブラムシの偏食は、体内に存在する共生細菌によって決まっていました。アブラムシはブフネラという共生細菌を必ず保有しており、必須アミノ酸などの供給をうけています。
食物連鎖ネットワークの中では、昆虫と植物の特殊な関係のように、ひとつの種に食べ物や生殖を依存する戦略は種としての生き残りのための防衛策としては得策ではありません。
+++ 食物連鎖網はスモールワールド構造である +++
食物連鎖は食う食われるのつながりであるリンクから成り立っています。豊かな生態の食物連鎖は弱いリンクが大量に存在し、生態系を環境変化に対して強くしています。言い換えれば、単一の食物しかない種より、多くの食べ物がある種の方がより生き残りやすい。ひとつの種の絶滅はたくさんの弱いリンクを減らします。リンクの数が減ると、残されたリンクがより強固になります。すなわち、食べる物が1種類なくなれば、残された食べ物をよりたくさん食べることになります。少数の食べ物に依存する食物連鎖は生態系の弾力性を失わせます。
食物連鎖網はスモールワールド構造をしており、莫大な数の種が含まれますが、任意の2つ個生物種をつなぐリンク数は極めて少ない。したがって、一つの種の絶滅は食物連鎖網全体に速やかに影響を与える性質を持ちます。
もし、餌を食い尽くすような進化が生じたとすれば、その種はかえって自らを滅ぼします。突然変異や社会環境の変化から生まれた病原性の強い感染微生物も、やがて、感染する宿主に優しく、独力の弱い微生物に置き換わっていきます。生態系の他種との複雑な関係を破壊する種は生き残ることはできないでしょう。
今回の例は五感とは関係しませんが、代表的な防衛方法です。敵は物理的な力で攻撃してきます。体が硬ければ多少の攻撃に対して致命的なダメージを受けず、逃げることができるでしょう。
+++ 骨はコラーゲンの中に分泌されたリン酸カルシウム塩である +++
脊椎動物の骨は軟骨の中に造られます。軟骨の主成分はコラーゲン繊維です。コラーゲン繊維は生物の多細胞化のときに誕生しました。原始の脊椎動物の体表は厚いコラーゲン繊維で覆われていたことでしょう。骨は骨細胞がコラーゲン繊維の束の中に分泌するリン酸カルシウムの結晶です。
最初の骨は外骨格として誕生しました。皮膚のコラーゲン繊維の中に分泌されて鎧のように体を覆いました。炭酸カルシウムの殻を持つ貝と同じです。貝の殻は現在も立派に機能していますが、リン酸カルシウムの殻は進化とともに退化しました。現在では頭蓋骨にその名残があります。
進化の過程で、内骨格が発達しました。背骨のように神経組織を守る骨。肋骨のように内臓組織を守る骨。そして、運動のための四肢の骨があります。カメの甲羅は肋骨です。背骨は椎骨が連なってできています。脊椎動物の体は椎骨が基本単位である体節に対応して作られます。四肢の骨は基本構造から付加した形で誕生し、発達しました。
+++ 甲殻類の殻は炭酸カルシウムであるが、貝殻より軽量で弾力性がある +++
カニやエビ等の甲殻類の殻を構成しているのは、糖であるキチンとタンパク質、そして炭酸カルシウムです。炭酸カルシウムは貝殻の主成分ですが、甲殻類の殻は糖やタンパク質との複合材料になっているため、より軽量で弾力性があります。昆虫の殻は同じ複合材料ですが炭酸カルシウムは少なく、タンパク質が増えています。
骨がコラーゲン・タンパク質の繊維でリン酸カルシウムの結晶を成形したのに対し、節足動物の殻は糖とタンパク質の繊維で炭酸カルシウムの結晶を成形しました。そのほか、生物が作る殻(骨格)の材料には珪酸があります。ガラスです。珪酸の殻を持つのは放散虫や珪藻ですが、珪藻は中生代白亜紀以降に出現した新しい生物です。
外骨格の欠点は重さ、成長の枷になること、そして呼吸が難しくなることです。外骨格を持つ生物の大きさは空気中の酸素濃度に依存するようです。重い外骨格を運ぶには大量のエネルギー、すなわち食べ物と酸素、が必要なためです。
昆虫は軽い複合材料を使うことで重さの問題を解決し、空を飛べるようになりました。呼吸では空気をできるだけ体内に取り込むために、腹部を蛇腹式の外骨格にしました。蛇腹を伸び縮みさせることで積極的に体内に空気を取り込みます。したがって、呼吸器(気門)は腹部にあります。
成長する時は殻を脱ぐ必要があります。脱皮の前後は動きも制限され、一番攻撃されやすい時です。カニは重金属などの有害物質は殻に集めておいて、脱皮する時、一緒に捨てるようです。重金属は内骨格である骨にも蓄積しやすい。内骨格を持つ生物は骨は捨てられませんね。
+++ 内骨格を持つ動物は補助的な防御装置を持つ +++
内骨格を持つ動物はうろこ(魚、爬虫類)、羽毛(鳥)、毛皮(哺乳類)で体の表面を補強しています。中にはたくさんの針(ヤマアラシやハリネズミ)や甲羅(亀)を持つものもいます。皮膚が変化した爪や蹄も攻撃と防御を兼ね備えた装置です。
そもそも内骨格が有利なのは、外骨格に比べて関節の自由度が大きく、高い運動性能が達成できたためでしょう。防御の点からは早く走ること、空を飛ぶこと、地中に潜ることなどが考えられます。アナウサギは巣穴の中にお尻を外に向けて踏ん張り、巣穴に栓をしてしまうそうです。厚めの皮膚を持っていれば、噛み付こうにも噛み付けず、狭いためにつめも有効に使えず、ウサギを引っ張り出すことができません。これだけでも防御戦術として有効です。
皮膚を作る分子はコラーゲンやケラチンなどの繊維性のタンパク質と、そのタンパク質についた糖鎖です。糖はお互いに結合する腕をいくつも持っていて、硬い組織を作ります。代表例は植物です。タンパク質の繊維は絡み合って強度を保証しますが、柔軟性も持ちます。これらの高分子は細胞が細胞膜の外に分泌します。外界に直接、接するような強靭な組織(皮膚、毛、爪など)を作り出すためにはむしろ高分子を細胞内に蓄積して加工するといった、高度に調整された細胞機能が必要です。
○わかりやすい身近な例を通じて生体防衛の方法を概説してきました。感染微生物の話に入る前に防衛の基本をまとめましょう。
+++ 身を守る6つの方法 +++
まず、監視が必要です。監視は24時間休みなく働き、危険の接近を感知します。休むことなく働く聴覚、臭覚などがこれに相当するでしょう。体の内部でも危険の種類に対応したセンサーやレセプターがあります。
危険が迫っていることが感知されたら、危険の本質について知る必要があります。敵についてより具体的な情報を集め、敵の正体を知る(同定する)必要があります。それによって、施す防衛策が決まります。同定するためには主に視覚が使われます。
具体的な防衛策は、戦う、逃げる、隠れるが基本です。戦う(追い払う)には物理的な方法(打撃など)や化学的な方法(毒など)が使われます。逃げる場合は高度な運動能力がある生物に限られます。逃げるときに化学的な補助手段を使うことがあります。くさい臭いを放つ(昆虫やスカンクなど)、煙幕を張る(イカや蛸)などです。隠れる場合は物理的に隠れる(物陰や穴の中など)ほかに、模倣や擬態によって隠れます。
防衛策全体の補助手段として、鎧も有効です。敵の攻撃のダメージを和らげ、致命傷を負う確率を減らします。
以上、監視、同定、戦う、逃げる、隠れる、鎧の6つの方法にまとめてみました。これらを統合するのが中枢神経系です。
+++ 敵は脳が判断する +++
私たちは自分を脅かすものに対して怒りや恐れの感情を抱きます。そこで勝てると判断したときには怒りが強くなって戦いを選び、負けそうだと感じたときには恐れが先にたって逃げることを選択します。戦うか逃げるかの判断は脳が行います。すなわち、個体の生存を図るための脳システムの活動が怒りや恐れの感情として表出します。脳を持つすべての動物が示す基本行動です。
Functional MRIで、脳の中の血液流量を高い空間分解能で検出可能です。最近ではテレビ番組でもよく紹介されます。
恐怖やパニックを感じる部分を検索した結果、中脳の水道周囲灰白質にありました。この部分は恐怖で興奮し、戦うか、逃げるかの行動を選択します。この部分が興奮しないように改造する、この部分だけを麻痺させるような薬を使えば、恐怖を覚えない戦士を作り出すことができます。
+++ 脳の機能は神経細胞ネットワークにある +++
脳の機能を示す指標は、神経細胞(ニューロン)数ではなく、むしろ1個のニューロンが何個のニューロンから信号を受け取り、何個のニューロンに信号を伝えるか、どのような神経細胞同士が信号をやり取りし、回路をつくるかが重要と考えられています。
最近の脳研究では生きた状態で脳の活動を測定することができます。種々の反応、行動が解析された結果、特定の反応、行動に対して、それぞれ、特定の部位のニューロンが関与することが明らかになってきました。手足を動かすのも大脳皮質運動野の数十個のニューロン活動が指令信号を出します。
認識を行う場合、対象の各部分の観察、評価結果を取りまとめ、最終的な判断を下す一つのニューロン細胞を仮定しますが、相当する細胞はいまだ証明されていません。検出の精度が甘いのか、もともと、判断・認識は複数のニューロンの同時的な活性化の結果なのか(意識は一本道ではない)、近い将来、結果が出るでしょう。
脳の特定部位が活性化されると、その領域が支配する感覚が立ち上がります。入力が外部から来ているか、薬物や電気的な刺激によるものかは本人には判りません。
現実とは何か。映画マトリックスのテーマですが、たとえば宗教的体験など、現実離れした体験が現実として語られることもあります。客観的な現実とは複数の脳によって体験可能な感覚、神経生理的には脳内に作られる特定部位のとして定義されるように思います。脳の間の共通感覚の確認は言葉によるコミュニケーションしかありませんでした。現在では測定結果も追加されることになりましたが、まだ、簡単な概念や体験に限られるようです。
+++ 神経機能をコントロールする +++
戦争では敵の兵士を効率的に殺すための兵器が求められます。20世紀では神経毒ガスなどが兵器として開発され、また、実戦でも用いられました。
しかし、化学兵器は空気中に拡散しやすいので、広範囲に展開する敵の兵士を殺したり、無力化するにはちょっと無理があります。化学兵器を積んだミサイルも同様です。むしろ、狭い建物などの中で使う、もしくは少人数に対応するように、使用方法が変化しているのではないでしょうか。警察で使う催涙ガスや、地下鉄サリン事件、ロシア軍が劇場に立てこもったチェチェンテロリストを殲滅するために使用した?ガスなどが好例です。
現代ではさらに一歩進んだ使い方、すなわち、兵士たちの集中力を高めるために薬物を使用するそうです。現代の神経科学からすれば、恐怖心や苦痛、疲労を抑え、攻撃性を高めるような薬物を開発することが可能です。近い将来、精神科治療薬として登場することでしょう。
また、帰国した兵士が心的外傷後ストレス障害(PTSD)で社会復帰できない問題も重要です。薬物によって罪悪感を取り除かれ、記憶の選択的消去によってPTSDを治療することが模索されています。これは犯罪の犠牲者、自然災害の犠牲者に対しても望まれています。
○生物の防衛本能は脳が司ります。脳の機能にまで踏み込むと際限がなくなりますので、この話題はこの辺でおしまい。
○五感の他に、脳に意識されずに働くセンサーがあります。それはもっぱら体内の外敵を見張ります。
+++ 免疫システムは体内への侵入者を監視する +++
脊椎動物では分子のセンサーが絶えず、環境の分子を捉えています。免疫システムです。免疫システムは腸管で食物、その消化物、腸内の細菌群を常に監視しています。皮膚では傷による環境物質の侵入を、鼻や口、生殖器などの粘膜でも付着した細菌類を監視しています。
基本的なセンサー分子(専門的には受容体、receptorと呼びます)は昆虫にもあるtoll- like receptor(TLR)と呼ばれる分子群です。細菌やウイルスの基本的な分子構造に反応します。生まれながらに備わったセンサーです。TLRのほかにもたくさんのレセプターがあり、感染微生物の特徴的な構造に反応して防衛反応を惹起します。
一方で、多様な外界の分子構造に対応するために、膨大な種類のセンサーを作り出す仕組みがあります。抗原レセプターです。環境には無数の異物(抗原と呼びます)が存在しますから、それら全部を個別に認識するためには無数の遺伝子を維持管理する必要があり、それは生物にとって経済的に大きな負担です。しかし、哺乳類では数十から数百の小さな遺伝子をランダムに組み合わせることで、この問題を解決しています。3つもしくは2つの断片を組み合わせてレセプター遺伝子を作り、結合できる分子構造の種類を事実上、無限大としています。
+++ 自然免疫 +++
免疫は主に細菌やウイルスなどの感染微生物の侵入に対する防衛策です。感染微生物がやってくると、まずは自然免疫で対処します。侵入直後から働く殺菌性液体成分は様々な分子があります。抗菌性ペプチド(デフェンシン)や抗菌性酵素(リゾチーム)が有名です。これらの分子は粘膜の細胞で構成的に作られ、分泌されています。いわば、化学的な鎧です。ここまでの殺菌は秒〜分のオーダーで起こります。
組織に感染微生物が侵入すると、そこにいる細胞が応答します。サイトカイン・ケモカインのシグナルを出してマクロファージや好中球を呼び寄せます。ウイルスが感染した細胞は自ら犠牲になる(自殺する、アポトーシスを起こす)ことでウイルスの増殖を抑えます。
局所におけるTLRを介したケモカイン・サイトカインによる自然免疫系細胞の活性化は時間〜日のオーダーで起こります。好中球やマクロファージなどの食細胞をたくさん呼び寄せ、感染微生物を食べます(貪食作用)。このとき、感染微生物を効率良く貪食するために、レクチン経路や補体系第2経路などで標識をつけます(オプソニン化)。また、食細胞は殺菌性のタンパク質などを分泌し、撒き散らします。これら一連の機構が少なくとも侵入5日までには必須です。ここまでの免疫反応を自然免疫と呼びます。
感染微生物の一部を取り込んだ樹状細胞やマクロファージは近くのリンパ節に移動してそこで、T、Bリンパ球に感染微生物由来の分子を提示して、ジャストフィットする抗原レセプターを持ったT、Bリンパ球を活性化して獲得免疫システムを発動します。
+++ 自然免疫をオーガナイズする獲得免疫 +++
自然免疫が活躍している間に、抗原レセプターを持ったT、Bリンパ球が駆けつけます。感染微生物に反応するジャストフィットするレセプターを持ったT、B細胞が活躍します。抗原レセプターを使ったT、B細胞の反応は感染微生物に特異的で間違いがありません。B細胞が作り出す抗体(B細胞の抗原レセプター)は自然免疫を動員して感染微生物に総攻撃をかけます。T細胞の働きなどの詳細はこの後の章で解説しましょう。
獲得免疫が発動するまでに少なくとも週のオーダーがかかります。活躍したT、B細胞は、感染微生物が退治された後、大部分が排除されます。必要のない軍隊は平和なときには縮小されます。しかし、一部のT、B細胞は眠りにつきます。一度、戦った実績のあるT、B細胞は次の侵入に備え、体内を循環することになります。これを免疫記憶と呼びます。免疫記憶は獲得免疫の大きな長所です。2度目の進入に際して、細胞はすぐに反応し、獲得免疫を発動します。
○本メルマガでは、五感とは独立した免疫系を感覚器+防衛システムとして捉えて解説しようと考えています。今までの五感の解説は準備運動です。特に、生体側の防衛システムと、そこに食い込もうとする感染微生物との駆け引きを中心にまとめます。最近の分子生物学の成果を中心としますので、かなり専門的な内容がありますが、できるだけ、明快に(細かなことは省いて)解説しようと思います。とはいうものの、最低限度の専門用語は避けられません。専門用語はウェブ・データへのキュー(検索語)と考えてください。
○次回からは実際に感染微生物の立場になって口から侵入してみましょう。
○まずは、下痢を起こす大腸菌の立場になって人間の体に侵入してみましょう。もともと大腸菌はその名のとおり、大腸にはたくさん生息しています。と言っても大腸の中ではマイナーな菌ですが。環境中にも生息していて、例えば、海水浴場の清浄度の基準として、環境指標のひとつとして大腸菌数が使われます。大腸菌は口から侵入して大腸へ定着し、ウンチとともに排泄されます。大腸菌は人だけに住んでいるのではありません。様々な哺乳類や鳥類の腸に生息しています。
○すべての大腸菌が下痢を起こすわけではありません。大腸菌の中でも特殊能力、たとえば、毒素を生産する能力や細胞内に侵入する能力を持った大腸菌が下痢を起こします。
+++ 口の中のバリア +++
口腔には56種ほどの細菌が住んでいます。この数は16S RNA遺伝子の調査から求められた平均値で、個人差や測定方法による違いがあると思います。細菌は互いに競争し、増殖を阻害し、また時には助け合っていますので、菌叢(きんそう)を形成していると呼ばれます。口腔内常在細菌叢です。中には虫歯の原因となる Streptococcus mutans、歯周病の原因となる Porphyromonas gingibalis、 Prevotella intermedia などがいます。菌の名前は舌をかみそうなものが多いのですが、まあ、名前だと思って素通りしてください。興味がある方は、虫歯はミュータンス、歯周病はジンジバリスと記憶してください。ちなみに大腸菌は Escherichia coli です。虫歯や歯周病は口腔内常在細菌叢のバランス(力関係)が崩れたために起こると考えられます。口腔内常在細菌叢のバランスに影響を与えるのは口腔内に残された食物や免疫の働きです。口の中の皮膚は口腔粘膜と呼ばれます。
粘膜は体内の皮膚に相当します。体外の皮膚と違って角質化しません。口の中に限らず、様々な細菌に対するバリアであり、かつ、攻撃対象となっています。特に、口腔内は様々な食物が原型をとどめた形で通過しますから傷がつきやすい。人間の場合は加熱した食物もとりますから、軽い火傷もします。そのために、口腔粘膜は強い回復能力を持っています。
+++ 粘膜はバリアで覆われている +++
粘膜は体の中の皮膚です。口から肛門にいたる長い消化器、肺まで含む呼吸器、おしっこの出る泌尿器、女性の場合は膣から子宮にいたる生殖器などが粘膜です。粘膜の総面積は皮膚面積の200倍以上になるという計算もあります。この大部分が小腸、大腸です。
粘膜は粘液に覆われています。粘液はぬるぬるした分泌液で、粘液細胞が分泌します。粘液の中には微生物の感染を阻止する物質がたくさん含まれています。
まず、主成分のムチン。ムチンはセリン、トレオニンというアミノ酸を主成分としたコアタンパク質にたくさんの糖鎖が結合した巨大タンパク質です。粘液中のぬるぬるの成分です。ムチンは微生物に絡み付いて、粘膜表面の細胞に近づけません。さらに、粘膜細胞が繊毛運動によって外に向かう粘液の流れを作っているので、粘液に絡まった微生物は外に排出されます。
細菌をターゲットとした消化酵素であるリゾチーム。大量に分泌されていて、細菌の外膜を破壊して殺菌作用を示します。特に涙に多く含まれています。最近の注目株は抗菌性ペプチドであるデフェンシンです。細菌の膜に取り付いて穴を開け、膜を破壊します。その上、そのほかの免疫系の細胞に働きかけて呼び寄せたり、活性化する作用もあります。特に、小腸でパネート細胞が大量に生産していて、腸の表面を守っています。
免疫作用の要が免疫グロブリンA(IgAと略します)です。免疫系の働きでB細胞が生産する分泌型抗体です。
○口から取り込まれた大腸菌は唾液の中のリゾチームの攻撃を受けます。食物の中に潜んだ大腸菌は食物と一緒に食道へと運ばれるでしょう。よく噛んで食べれば食物の中に潜んだ菌もかなり退治することができそうです。たとえ、口腔内に大腸菌が残っても唾液や粘液と一緒に排出されるか、何とか定着しても細菌叢のなかではマイナーな存在になるようです。
口を通過した大腸菌は食道へと運ばれます。食道の粘膜は、口で咀嚼され残った形を保ったままの食物が通過するので、多少、傷ついてもいいように細胞が重なりあっています(重層扁平上皮)。食道腺からたくさんの粘液を分泌して食物の通りをスムーズにします。粘液には唾液と同じような抗菌タンパク質が含まれますから、大腸菌はここでも危険にさらされます。食道は蠕動運動によって食物を胃に送り込みます。
食道の下部では、細い静脈の網が発達しています。肝硬変などで肝臓への血流が悪くなると、血液が迂回してきます(門脈圧亢進)。血管に負担がかかり、変形して破れやすい状況(食道静脈瘤)になります。病気が進行するとちょっとしたショックで破れ、血液が食道にあふれて大量に吐血することになります。余談でした。
+++ 内なる皮膚、粘膜 +++
粘膜は上皮細胞の層とその裏打ち構造としての粘膜固有層があります。消化器は管ですから、粘膜はいわば管の内側にあり、上皮細胞がその表面です。上皮細胞は最前線で傷つきやすいために常に新しく作られています。粘膜にある窪み、皺や襞(陰窩:いんか)の底に幹細胞があり、常に分裂していて、上皮細胞を供給します。上皮細胞は細胞分裂で誕生したところから襞などの天辺まで移動すると、寿命を迎え、粘液の中に剥がれ落ちます。最近では、上皮細胞の最期はアポトーシスであり、粘膜下にいる食細胞に食べられて内側から処理させることも分かってきました。
粘膜固有層はコラーゲンなどの繊維を主成分とする弾力性にとんだ層です。繊維を分泌する細胞が主体ですが、免疫細胞が粘膜固有層に常在していて(駐在さんのよう)、異常がないかを見張っています。
上皮細胞に異常が起こると、粘膜固有層にたくさんの免疫細胞(白血球)が集まってきます。まず、最初に防衛線が築かれるのが粘膜固有層です。最初に大挙して押し寄せてくる白血球は好中球と呼ばれます。殺菌性の強い酵素や過酸化物を分泌して菌を殺します。また、菌を食べて、細胞内で消化します。続いて、好中球と同じ殺菌力を持ち、かつ、獲得免疫系に病原菌情報を伝達するマクロファージが出現します。マクロファージが提供する情報でT細胞、B細胞が出動すると、感染病原体による異常はほぼ鎮圧されます。
+++ 胃が自己消化しない理由 +++
小学生クイズに出てきそうな話題です。胃そのものは蛋白質でできていますが、pH1〜2の強酸性の酸や蛋白質を分解する酵素ペプシンなどを産生しています。重要な防御因子として働くのが胃粘液です。胃粘膜には胃小窩と呼ばれる窪みがたくさんあり、その壁から胃粘液が分泌されます。ペプシンでは消化されない多糖類が主成分になります。胃小窩の底には胃腺が開口しています。この分泌腺からは塩酸と消化酵素のペプシノゲン(胃の中で活性化してペプシンになる)が分泌されます。塩酸は壁細胞(旁細胞)と呼ばれる特殊な細胞が分泌します。
+++ ピロリ菌 +++
胃の中の極端な環境下でも生存している菌がいます。有名なのはピロリ菌です。ピロリ菌が感染している胃では粘膜上皮細胞が不揃いになり粘膜固有層には好中球が侵入しています。これがひどくなると、慢性の胃潰瘍、そして胃がんへ進行します。ピロリ菌は菌体表面のアドヘジン蛋白質(定着因子)を使って胃粘膜上皮細胞にくっついています。ピロリ菌は酸性環境下で生存できるわけではありません。ピロリ菌は、ウレアーゼ酵素を分泌して胃液中の尿素を分解してアルカリ性のアンモニアを作り出し、酸を中和しています。ピロリ菌はそのほかにもいくつかの毒素タンパク質(VacA,CagAなど)を産生し、生活に適するように胃粘膜を荒らします。
○大腸菌にとって、胃は最大の難所でしょう。胃は強い酸性環境下で強力なタンパク質分解酵素により、食物と一緒に細菌やウイルスを消化・分解します。食道と違って、胃では強い蠕動運動により長時間、混合されますから、生存できる確率は低くなります。数は圧倒的に少なくなりますが、それでも、なお25種類ほどの菌が定着しています。大量の食物が入ると胃酸は中和され、菌もある程度は腸へと送られていきます。どのくらい? 数は研究者によっていろいろ意見が異なるようです。
○大腸菌はいままで受身で通過してきました。いよいよ名前の由来の腸です。腸は十二指腸、小腸、大腸とあります。ここで大腸菌は定着します。とはいうものの、菌全体の中から見ればマイナーです。まずは、腸内細菌の世界を簡単に説明しましょう。
+++ 上皮細胞を傷つけない菌は定着を許される +++
腸内に限らず、哺乳類の粘膜や皮膚にはたくさんの菌が棲息しています。菌があまりいないのは、胃や膣、尿道です。菌がいるのに防御反応が起こらないのはなぜでしょうか。菌を検出していないか、いても無視しているのでしょう。菌ではありませんが、消化管の中は大量の食物、タンパク質や多糖類などが通ります。タンパク質や多糖類は注射すれば免疫反応を起こす物質です。これらに対しても反応しません。
腸管上皮細胞の中には M 細胞とよばれる特殊な細胞が少数存在します。 M 細胞は摂取した食餌性高分子や細菌・ウイルスなどの微生物を積極的に取り込み、基底膜側から排出して粘膜下の免疫担当細胞に供給することで、免疫応答に参加しています。また、腸管をはじめとする粘膜からは免疫グロブリンである IgA が多量に分泌され、病原微生物や腸内常在菌(腸内フローラ)の数の制御や体内への侵入防止に働いています。 M 細胞には IgA に対する受容体があり、 IgA と結合した抗原のトランスサイトーシス(取り込み)を促進しています。つまり、認識はしているようなのですが、積極的に攻撃していません。
食物に対して、積極的に攻撃すると食物アレルギーになります。
+++ 腸管の細菌叢は宿主に貢献している +++
腸内細菌を活性化するために、悪玉菌を押さえ、善玉菌を育成する・・・おなかに優しい健康食品のキャッチフレーズです。実際のところ、腸内細菌は人間の消化器官では消化しきれない有機物を栄養として、人間にビタミンなどの栄養分を提供します。また、病原菌の活動を抑制し、毒性の強い薬物や発癌物質を浄化する潜在能力も期待されています。善玉腸内細菌を製剤にしたものをプロバイオティクス、善玉腸内細菌を増やす効果が期待されるサプルメントをプレバイオティクスと呼びます。
腸内細菌を持たない無菌マウスが人工的に作り出され、実験動物として研究されています。少しでも環境に菌がいると腸内に棲みつくので、クリーンルームで微生物を厳密に管理した環境下で飼育されます。無菌マウスは粘膜上皮の生育回転が遅く、傷が治りにくい。また、腸内の免疫系が未発達です。そのため、病原菌の侵入には弱いと考えられます。そのほか、心臓が小さいとか、行動が活発である(落ち着きがない?)などの細菌叢を持ったマウスとの違いが報告されています。
+++ 高度な獲得免疫系が腸内細菌の存在をコントロールする +++
免疫現象は1度感染した病原菌に2度目に感染したときは症状が軽くなることから発見されました。免疫現象の根本は記憶です。記憶する仕組みは無限の多様性を持つ抗原レセプターを生み出す仕組みと原理が同じです。このような高度な免疫系は脊椎動物の誕生とともに進化の舞台に登場しました。病原菌と無毒の菌とを識別することができるようになったため、複雑な細菌集団を体内(腸の中は実は体表)に取り込み、功利的に利用するしくみに進化したのではないでしょうか。人間では2000種類以上の微生物がコミュニティを作っていると言われます。
無脊椎動物にも腸がありますが、多分10種類程度しか腸内に細菌がいません。免疫系は病原菌が侵入しない程度にあればよく(自然免疫、12を参照)、主に物理的なバリア等で防いでいます。無脊椎動物のゲノム解析の成果から、自然免疫で働く抗原レセプターは数百種類存在し、それは哺乳類の10倍以上あることが明らかになりました。無脊椎動物にとって、細菌は共生する相手ではなくむしろ餌であり、細菌は無脊椎動物を避けるように進化しているようです。
+++ 哺乳類以外の腸内細菌や、細胞内共生 +++
無脊椎動物でも多くの昆虫の体内にはさまざまな共生微生物が存在し、宿主の生理機能や性格に影響しています。シロアリの消化管内共生原虫はセルロースを分解し、シロアリに栄養を供給します。マルカメムシ類では卵と一緒に共生細菌を含んだ“共生細菌カプセル”を産みます。卵から孵化した幼虫はカプセルに口吻を差し込んで、共生細菌を取り込み、腸内で増やします。マルカメムシの腸内細菌は食料である植物の消化を助ける役割があります。カブトムシ幼虫腸内はpH10前後のアルカリ性で、硬い植物の成分の消化を助ける菌が共生しています。
細胞の中に寄生する細菌もいます。昆虫は130万種もいますが、少なくともその10%以上の種で細胞内にボルバキア属細菌がいます。ボルバキアは宿主昆虫の生殖や発生に干渉して、オスの卵を殺したり、雄を機能的雌への性転換したり、非感染メス由来の受精卵を殺したりして、利己的な生殖を誘導します。また、マメ科の植物の根には空気中の分子状窒素(N2)を還元してアンモニアを生じる窒素固定菌が細胞内共生し、根粒を作ります。
○大腸菌は腸内で平和に生活できそうですが、しかし、時々病気を起こします。次はそんな大腸菌を見てみましょう。